私がスマホを触る時間を減らした3つの理由

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今では誰でもいつでもアクセスのできる、スマホの中の楽しい世界。

見ていると飽きないし、スマホを通して知識の幅が広がることは沢山あります。

スマホというものは、昔は知ることの出来なかった価値観や、他人の生き方を学ぶことの出来る、素晴らしいツールです。

ですが、スマホを通して触れられる世界も、あくまで画面の向こう側で起こっていることばかりです。

知ることが大切であっても、ただ見ているだけ、知るだけではもったいない。

何かを学び、楽しいことを見つけたら、スマホは置いて、リアルの世界でもっと遊んだほうが、人生はより楽しくなっていくものです。

私は、いつからか、意図的にスマホを見る時間を減らすように心がけ、それによって沢山のメリットを感じることも出来ています。

スマホが登場し、多様な世界に触れていくことによって、自分の悩みが小さかったこと、もっと楽しいことは沢山あるのだと知り、それが生きる活力になっていた時期もありました。

今はもう、必要最低限のことにしかスマホは使いませんし、そのほうが楽になることにも気づくことが出来ました。

では、なぜ私がスマホから離れることを決断し、継続しているのか。

その理由を3つほど紹介しますので、無気力、思考停止、よくわからない疲労感、今まだ何も起きていないのに不安感や不足感を感じる、などの悩みをお持ちの方は、参考にしてみて下さい。

1.他人を見て嫌になった

教えてくれたのは、周囲の人たちであり、そこから自分を客観視することによって、やめようと決断できました。

仕事中であったり、誰かとの食事中や、雑談などの会話をしている時。

ほんの少しのスキマ時間、数分、もしくはほんの数秒間でも間があくと、すぐにスマホを見始める現象は、どこでも見受けられます。

他の人が一生懸命働いている時に、ネットサーフィンやスマホゲームをし始める人たち。

せっかく一緒に食事をしているのに、スマホを見始めたり、写真を撮ってSNSでリア充アピールすることだけに意識を向けている人。

会話しているのに、スマホを触りながら聞く、中身のない相槌だけ、話が止まるとすぐスマホを開く人。

私は、これらのどれも、実際に経験すると、とても不快な気持ちになります。

飲食店などで、他の席で食事をしているカップル、二人とも相手を見ずにスマホを見ているのを見ると、なんだか切なくなってきます。

もちろん、それは個人の自由ですので、他人の行動を否定するわけではなく、私自身は「なんか嫌だな」「私もやってたことあるけど、次からはやめよう」と本気で思うようになりました。

嫌な気持ちになったことは、反面教師として学び、完全にはやめられなくても、せめて誰かといる時だけは、スマホを過度に見ることは控えようと思いました。

2.液晶を見続けることの弊害を強く感じた

一時期、私もうつ病や統合失調症のような症状に随分と悩まされました。

そうした症状は、散歩や筋トレなどの運動、腸活や質の良い睡眠によって改善されることにより、自然とスマホは見すぎない、液晶ばかりを見ないほうがいいということに気づけました。

実際に、自分のメンタルを整えるために、運動をする、液晶から離れるということを実践してみると、確かにその効果は感じられたため、依存から脱出するために自ら取り組みました。

「そんなことはない」

「これほど便利で楽しいものはない」

「これは依存ではない」

そう思っていたとしても、依存は気が付かないうちに始まっていますし、実際にそう思い込んで抜け出すことを拒否していることが、依存している証拠とも言えます。

私もそう思っていたので、抜け出すのは本当に大変でした。

うつ病や、統合失調症などが少しずつ改善されてからも、強迫性障害のような症状も現れることもあり、それがどうしてなのかも分析していくと、やはり液晶を見ていることの影響が大きいと感じました。

メンタル不調は、強いストレスを感じる、脳が疲労し続けている、不快な情報を浴びているなどが原因だと気づき、意図的に減らしたいと思ったのです。

ネットサーフィンなどは、その時は楽しいと思っていても、それは単なる脳内での疑似体験であって、実際には脳がものすごいエネルギーを消耗していて、ただ疲れるだけで、生産的ではない時間を過ごすことにもなっているようです。

スマホなどの液晶から与えられる刺激は、脳内ホルモンを分泌させ、そのホルモンの中毒になっているだけですので、立派な依存なのです。

たばこやコーヒー、薬などと同じで、その時に与えられる刺激を得ることが習慣化し、習慣化の怖ろしいところは、離れる、やめる時に強い離脱症状を感じるということ。

その離脱症状は、続けた期間に比例して長くなり、強くなるということも、依存について調べた結果、知ることが出来て、「これは早めに手を打つべきだな」と思って、少しずつやめる方向へとシフトさせていこうと決断しました。

3.自分の人生をスマホに支配されたくなかった

画面の中の世界に夢中になることも、一時的には楽しさを感じられ、今ここにはない感覚を疑似体験することが出来ます。

これが、今の自分にとって有効な場合もあれば、そうでない時もあります。

初めて見る世界や、知らなかった価値観に触れた時、感動を覚え、心を刺激してくれるものです。

しかし、ここからが大切なところで、それが快感になってしまうことによって、「他に何かないかな~」「もっと面白いもの探してみよう」とさらに深く入り込んでいきます。

こうして、気が付かないうちにスマホ、ネットの世界に引き込まれていき、いつしかそれが習慣となっていき、抜け出せなくなります。

このタイミングで、自分の最初の目的から脱線していることに気づけなれば、ズルズルとスマホに支配され続けてしまうのです。

液晶を見続けることは、激しく脳のエネルギーを奪い続け、リアルの世界に戻った時に、とにかくやる気が出ない、難しい計算や、複雑な文章を解読できない、などの症状が現れます。

得られるメリット、デメリット、他人の行動などを観察して、よく考えてみると、私の貴重な人生が、スマホに支配され、画面の中で起こることに振り回され続けるのは嫌だなと感じました。

自分の人生に与えられた、自分だけの時間をもっと主体的に使っていきたいし、搾取される側で生きて行くのは嫌だなと、本気で思い始めたことによって、スマホから離れようと考えるようになりました。

もっと人生を楽しみたい!

確かに、ネットの世界の中には、楽しいエンタメ、有益な情報が沢山あります。

アウトプットとしてのツール、必要なことを知るための媒体としては、スマホはとても優れたものですし、これだけの情報インフラが整ったことは、さらに私たちの人生を楽しくしてくれる環境が出来上がったとは思います。

ただ、この文明の発展を否定するということではなく、それらとの付き合い方、バランスを上手く自分でコントロールしていかないと、私の貴重な時間は奪われ続けると考えました。

他人を反面教師として学び、自分自身を客観視した時に、本当の人生の楽しさは、画面の中にあるわけではないと思ったのです。

誰かと集まっている時、家族との団らんの時間。

もちろん、スマホを見る癖が私にもあったのですが、ふと何かを伝えたくて、話したくて顔を上げてみた時、私以外の全員が、首をもたげて下を向いて、スマホの画面を食い入るように見ています。

そして、私という存在と行動を、高い視点から客観視した時、私も同じように、首をもたげて下を向いて、スマホの画面を見続けています。

それが、今からの行動に役立つ何かに必要な行動であれば、何も問題はないのですが、出来るだけ流されない、支配されないようにしたいのです。

私が重要だと思ったのは、人生を主体的に生きることと、貴重な財産となるのは、単なる知識ではなく、体験や経験、そこから得た学びだということ。

では、スマホを見ている時間はどうなのかを振り返ると、指と眼しか動いていない。

次の行動へつなぐ情報収集でない限り、この「指と目の運動」をし続けることになってしまうからこそ、私は嫌だなと思ったのです。

人生とは、今日の積み重ねであって、今という瞬間の繰り返し。

だからこそ、生きている間に、どれだけの経験をして、どんな思い出を作り、何を感じていたいのかを強く意識した時、残りの人生の時間の大半を、スマホ時間に費やしたくはなかったからです。

もちろん、何が楽しいのかはそれぞれ違いますので、見ているのが楽しい人は、それでいいと思いますが、私はそれが嫌になったのです。

「何かを自分がやる」ということが楽しい時間となるので、出来るだけスマホ時間は短くしたいなと思うようになりました。

リアルの世界で、今ある日常の中で、もっと楽しいことはあるし、広い世界へ飛び出せば、もっともっと楽しいことを体験できるはずです。

私は、自分の人生を楽しみたいからこそ、スマホから離れようと思ったのです。

人生をもっと楽しく生きて行くために、スマホは置いて、考えるのも悩むのも、情報を集めるのもやめて、今すぐに何かを始めたほうがいいと、私はそんな風に思ったからこそ、「今日何をするのか?」の中から、スマホ、ネットサーフィンの時間を大幅に減らすことにしました。

悔いなく生きて行くために

人生を楽しむため、悔いなく生きて行きたいからこそ、時間の使い方は強く意識しています。

私たち日本人は、人生の6割以上は仕事をしていると言われています。

それが辛いことだと思う時もありましたが、空いた時間をただネットサーフィンをして、画面を見ているだけ、首をもたげて下を向いて、指と目の運動をしているだけの時間に、人生の何割をかを費やしてしまうよりも、仕事をしていたほうがよっぽどマシです。

時間の使い方による差という情報に、学業で優秀な人でも、勉強しているトータル時間を1日平均にしてみると、1日5分間だそうです。

これが示すものは、本当に小さなことの積み重ねが、人生に大きな影響を与えるということです。

また、新たな希望を生み出せるのは、1日10分勉強するだけで、学業で努力する人の2倍はやっていることになるということ。

平均から比較すると、運動習慣は1日30分間で2~3倍、読書は1日30分で2~3倍、勉強は1日15分で3倍。

どれくらい正確なものかはわかりませんが、この日々の小さな時間の使い方が、長い時間をかけて大きな差を生んでいくことは間違いありません。

あらゆる時間において、少しずつ変化を加えていくと、1日の平均との差は6倍、18倍、36倍・・・120倍・・・300倍、さらに日数が掛け算されていくと、とんでもない数字になり、それはもう圧倒的な差になっていく。

他人がどう生きるのかは放っておいて、私だけは、時間の使い方を強く意識していき、その中でも削ぎ落とすべき時間は、無駄にスマホを見ている脳と首への負担時間、指と目の運動だけをしている時間だと考え、完全に断ち切るのではなく、「これ以上は違うな」と思ったところはやめるようにしました。

今から挑戦してみよう!

ここまで読み進めて頂き、ありがとうございました。

人それぞれ、環境やタイミングによって、必要なモノや情報、答えというものは違ってきます。

ただ、私は自分で「スマホばかり見ているのは毒でしかない」「人生の時間を無駄に使っている」と思ったから決断して、やってみたことです。

これを読み進めくれたあなたが、もし「何かを変えたい」「もっとアクティブに動きたい」「やりたいことをやっていきた」と思うのであれば、今から挑戦してみることです。

あなたが実現したいこと、やりたいこと、感じたい感情があるからこそ、まず何かをやめるしかありません。

スマホをいくら見ていても、まだあなたは何をやっていませんし、何も成し遂げてはいないことに気づいてほしいのです。

どんなことでも、今からすぐにやってみて、失敗してもいいから何度でもチャレンジです。

画面だけ見て、今日を終えていくなんて、実にバカげたことです。

この先の未来で、後悔しないためにも。

人生最後の時に、「もっと〇〇しておけばよかった」なんて思わないように。

来週、「あれやっておけばよかった」なんて思わないように。

今日の夜寝る前に、「あ~なんて無駄な時間を過ごしたんだ」「やっときゃよかった」なんて思わないように。

人生は、今日を生きること、今を生きることのみです。

今しか出来ないことを見つけ出して、スマホは置いて今すぐ行動です。

例えその目標とするゴールに、今日のうちに辿り着けなくても、近づくことは出来るはずです。

それを積み重ねていけば、いつか必ずたどり着けるからです。

後悔しないために、今すぐ何かに挑戦し、自分の主体的な人生を始めてみませんか?

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