「とりあえずやってみろ」と何故言われるのか?

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「まずは行動」「とりあえずやってみよう」

こんな言葉にあなたはよく出会うのではないでしょうか?

いつまでも考えていても前に進まないし、悩んでも仕方のないことにエネルギーを使っても、ただ消耗していくだけです。

また、「やりたいことやろう」という言葉も、最近ではよく見かけるようになっているはずです。

ただ、この「やりたいことをやろう」という投げかけに、困惑している人も多いはず。

それもそのはずで、「別にやりたいことはない」といったことや「やりたいことがわからない」という悩みをさらに生み出してしまい、何故だか「やりたいことを探す」という本来は問題でもない謎の問題を発生させます。

こういった時に、やはり「とりあえずやってみよう」ということになるのですが、どうしてアクティブに動く人たちは、こうした投げかけによって、行動することを促しているのでしょうか?

仕事、学校、趣味などのあらゆる場面で、「とりあえずやってみろ」と言われることはありませんか?

「え~、でも別に興味はないし」「やりたいことをやるんだから、俺はそれやりたくないなあ」

そんな気持ちになって、何も行動しようとしない、やろうとしない状態が続いていませんか?

先輩たちや、探している情報の書籍やネットの中でも、「行動」「やってみる」などの言葉しか出てこないはずです。

どうして彼らは「とりあえずやってみろ」と言っているのかを、これからいくつか紹介します。

人は経験からしか学べない

「めんどくさい」「やりたくない」

確かに、何もしないでぬるま湯に浸かったままでいると、そういった気持ちしか持てなくなり、動くこと、行動することが億劫になることがあります。

特に、私たち日本人は、「学ぶ」ということを教育によって強く植え付けられているため、知識をつける、勉強をするということに偏りがちです。

そのため、情報ばかりを先に集めてしまって、結果的に何も出来なくなって動けなくなってしまうのです。

実際に、あなたが行動を制限してしまう理由がどこにあるのかを掘り下げていくと、先に答えを知ろうとしたり、どのようなメリットデメリットがあるのか、どんな人がいるのかなどを先に調べたりしていませんか?

こういったことを繰り返していくと、自分の理想に見合ったものに出会うことだけを求め、待ち続ける姿勢となってしまい、結果として何もしていない時間だけが過ぎ去って行くのです。

ある程度まではそれでいいのですが、あまり長い期間そういったことを続けていると、ただただ年をとっていくだけで、何も変わりのないまま人生を終えていくこととなります。

本来、人間は経験からしか何かを学ぶことが出来ません。

「そんなことはない」

「先に知っておけば、答えがわかる」

そうおっしゃりたい気持ちはわかるのですが、そんなことはありません。

学校で勉強した知識も、人間が生まれてとって来た行動、立って歩く、つまづいて転ぶ、熱い物を触って火傷をする、暑いから水を浴びる、寒いから服を着る、といった行動全てによって、この宇宙のルールを知ります。

そして、なぜそうなるのかということを、小学校や中学校で学びます。

生物学者の養老孟司さんも、人間も動物であり、動物である以上は、「行動」⇒「学習」という順序でしか学べない。

だから、先に「学ぶ」「学ばせる」ということは出来ない。

必ずその順序でしか、物事は学べないようになっている。

とおっしゃられています。

長く生きた大人たち、ベテランの人たちが「とりあえずやってみる」と言って、行動を促す理由はここにあります。

いくら考えていても、その先のことは誰にもわからないし、実際にやってみると、先に勉強しておいたこと、持っていた知識はさほど役には立たないし、思っていた通りの結果は得られないことがほとんどだからです。

まずは「行動」することが、次へ進む唯一の方法なので「とりあえずやってみろ」とひたすらに動かそうとするのです。

続けると感覚が変わってくる

人間というのは、実に不思議なもので、はじめのうちは「嫌だ」「めんどくさいからやりたくない」と言っていても、とりあえずやってみて、続けているうちに、いつの間にか自然と出来るようになっていき、それが楽しくなってきたりもするのです。

また、続ければ続けるほど、あれほど嫌だと拒絶していたことに対して、愛着が湧いてくるようになり、その行動が自分のアイデンティティーとして身についてくるのです。

面白いかどうか、めんどくさいかどうかは、やってみなければその感覚はわかりません。

ただ、継続していくということが、その行動の繰り返しに愛着をもたらし、自分のアイデンティティーとなることによって、自己肯定感も上がっていき、それが自信につながって、次へのチャレンジも出来るようになっていき、行動することが当たり前の人格へも変貌していきます。

想像してみるとわかりやすいと思いますが、あれほど嫌と思っていたことも、とりあえず嫌々でも続けていて「じゃあ代わりに私がやろうか?」と言われると、少し寂しくなりませんか?

嫌でもつまらなくても、めんどくさくても、それを続けていくうちに、無意識的に愛着は湧くものであって、いつの間にか楽しんでやれるようになっているのです。

始めから「楽しい」と感じることを続けるのはもちろん、それが「つまらない」「クソどうでもいい」ということであったとしても、その「クソどうでもいいこと」を一ヶ月、数カ月、何年とやり続けた自分って、愛らしく思えませんか?

行動した結果というのは、そんなものなので、やる前から「意味ある?」「メリットなくない?」などといって拒否をするのではなく、「とりあえずやってみる」ということが、自分のアイデンティティーを確立させ、そこに自分の居場所も作りあげることが出来ていくのです。

やることにさほど意味なんてない

行動を選択する時に、もちろん「楽しさ」「快適さ」「心地よさ」などを求めて動きます。

それは、人間として、動物として当たり前のことなのですが、「やりたいことをやろう」の罠にハマってしまい、やりたくないことまで拒絶しているのなら、それは非常にもったいないことをしているかもしれません。

人生は、長く生きて行くとわかってくるものなのですが、人間のとる行動、やることにはさほど「意味」のようなものはなかったりします。

それ故、「やらなければいけない」などといったことはありませんし、「暇だからやっとこう」といった感じでも、何の問題もないのです。

頑張って「やりたいこと」を見つける必要もないですし、「意味はよく知らんけども、とりあえずまあやっとくか」といった感覚で行動してみれば、それはそれで見えなかった何かが見えてきたりもするのです。

どうせ「意味」なんてないのですから、やりたいかやりたくないかは別として、そこまで面倒くさがって拒絶する理由もないはずなのです。

だからこそ、「とりあえずやってみろ」と促しているのですから、それは自分の人生をシフトするチャンスだと思って、失敗しても適当でもなんでもいいから、やってみるといいでしょう。

やってきたことが自分を形づくる

知識を蓄えることばかりやっていても、ただ何も行動出来ない人間になってしまい、ただ「知っている」という人間になっていくだけです。

もちろん、情報を集める、知る、勉強するということも、ひとつの行動なので、間違ってはいません。

ただ、今いる「自分」という存在は、これまでにとってきた行動の結果の産物として存在しています。

知識や情報というものは、もちろん知ることで楽しさを覚えることもありますが、特に役に立たないものであったりすると、そのうち忘れていったり、特別な価値を生み出すことはなかったりします。

それよりも、自分がやってきたこと、「経験」というものは、人生の宝物で在り、かけがえのない財産となります。

自分自身に身に付いたことというのは、一生ものです。

意味のないことでも、くだらないことでも、めんどくさいことでも、やってきたこと続けてきたことというのは、自分を肯定するための誇りになり、心に充足感を与えてくれます。

ただ、「とりあえずやってみろ」というのは、「勉強ばかりしていないで行動しろ」という意味でもありません。

勉強すること、知識を蓄えていくことも行動で、それも積み重なっていけば、自分自身の財産となります。

そこから、それらの知識を発信したり、教育として役立てたり、人に分け与えることの出来るものとして活用するという「行動」を重ねていけば、さらに自分もまわりも満たされていくのかもしれません。

これまでに生きてきた経験というのは、何一つとして無意味なものはなく、「何もしないでいた時間」も含めて、全てが経験です。

それが「今」「ここ」で生きている「私」であり「あなた」として存在しているので、生きて、経験して、行動を重ねていくことによって、「自分」というものをはっきりと確立でき、自分自身の存在価値を感じられるものなのです。

だからこそ、「グダグダ言ってないで、やってみよう」という最初の一歩が、全てを変えてくれるトリガーになるということなのです。

落ち着きのない人間になってしまえ

堀江貴文さんは「多動力」という書籍を出版されていました。

まさに、この言葉の通り、「とにかくやってみろ」「行動しろ」と発信し続けている人は、とにかく沢山います。

最近の日本では、互いに互いの足を引っ張る傾向が強くなり、行動する者の失敗を咎め、吊るし上げる現象が増えて行っています。

これは、あらゆるところで行われていることで、それによって、誰も行動でいない、下手に前に出れないという膠着状態を生み出してしまいました。

それでも、どれだけ笑われても、怒られても、責められても、行動するものだけが沢山の「経験」というものを勝ち取れます。

いつまでも、外側から遠距離攻撃をするだけの人たちは、「それ」をやっているだけの人たちで、実際には他に何もやることがないだけですので、気にする必要などないのです。

思いついたらやる。

やりたいと思ったからやる。

めんどくさいけど暇だからやっとく。

いいと思ったからやってみる。

あいつがうるさいからやっておく。

今しか出来ないからやっておこう。

身につけたいからどんどんやろう。

理由は何だっていいので、「多動力」を身につけて、どんどん行動していくべきです。

他人の邪魔をし、足をひっぱりたがる人たちには、構っている暇はないのですから、どんどん行動していき、「経験」というものを日々積み重ねていきましょう。

始めのうちは、小さな一歩で何が変わるのかわからなくても、今日一日、今週一週間だけ、という意識で行動し、その「小さな行動」をっずっと積みかさね続けることによって、気が付いたら全く別の世界に自分がいることに気が付くはずです。

日本人で偉業を成し遂げたイチローの有名な言葉に、「小さなことを積み重ねていくことが、とんでもないところへ行く唯一の方法だ」というものがあります。

まさにこの通り。

今日から、今から私が、あなたがとる行動が、徐々に自分自身の人生をシフトしていくキッカケとなるのです。

そして、その選択と行動は、毎日、毎瞬のように与えられ、それらの行動の全てが経験として染み付き、人生をより善きものにしてくれます。

「まずはやってみろ」と言われる前に、「とりあえずやってみます」という言葉を出せるようになれば、あなたはもう一人前として認められます。

やってみましょう。

行ってみましょう。

行動してみましょう。

考えなくていいんです。

意味は後から決めたらいいんです。

むしろ、意味なんてないんです。

例え失敗したとしても、「食べようとしたら箸が滑って下に落ちた」って程度です。

どんどんやりましょう。

どんどん行きましょう。

もう考えるのはやめて、あなたが考えている「それ」を実行していきましょう。

そこから全てが始まります。

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