捨てれば自分が見えてくる!生きたいのなら何もかも手放してしまえ!

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あなたは今辛いですか?苦しいですか?

私は、捨てることを知って、今少しずつ人生の変化を実感しています。

怖がらず、全てを投げ出してしまうことによって、本当の自分に戻ることができるのです。


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離婚を経験し、シングルファザー、マイホームローン持ちという、社会的には終わっているというステメンのステローです。

失ってしまった時に、どう生きたらいいのかわからない時がありました。

何もいらないと思っていたのに、気が付けば何かを求めて欲しがるばかりの自分になっていました。

また、心の奥底を覗いてみると、過去の亡霊に取りつかれてしまって、失った何かを取り戻そうとしていたのかもしれません。

しかし、どこまでいっても心の穴は埋めることができず、同じことを繰り返し、もう一人の自分はただ暗い闇の中で座り込んで泣いているだけのような感覚でした。

それでも、やはりどこかで自分で立ち上がって、自分で歩き出すしかないことに気づき、何をどうすればいいのかを考えました。

それからです。

何もいらないといいながらも、多くを抱えて生き、荷物を持っていこうとしているから生きられないのだ気づき、行動に移しはじめました。

できない理由は言い訳だと気づいた

これを言ってしまうと、なんだそんなことか。

と思うかもしれませんが、これは自分のことになってしまうと気づかなくなるものです。

できないのではなく、やる気がない、やりたくなかった。

振り返ってみると、心の奥底にはそういった本音が隠されています。

やりたいんだけどできない。

そんなものは、何の覚悟もなく、ただあれもこれも持ち続けようとしている欲張りな思考でしかなかったのです。

安全なところにいながらも、片手間で欲しい物を手に入れたい。

そんな気持ちが自分の中に確実にありました。

こっちを維持しながらこれもやる。

それは、本気とは言えないですし、やりたいことではなかったと認めざるをえません。

また、そんな気持ちで手を出すからこそ、最後には失ってしまうのだと強く感じました。

他人の発言や行動だけを見ていると、とてもわかりやすいのですが、自分のこととなると何も見えなくなるものだなということも、学びのひとつとなりました。

だったらどうすればいいのかを考えた

自分が成し遂げたいこと。

目指したいステージ。

なりたい自分がいるのだとしたら、そこに向かって行くにはどうすればいいのか?

それは、やはり捨てることしかないのです。

どんなことであっても、成し遂げるにはひとつのことに集中しなければいけません。

それ以外のものは今は必要ない。

そこに登り詰めるためには、今何をやらなければいけないのか?

それだけははっきりと見えてきます。

単純な話、それが必要なことなのか?

ということ。

これに気づいた時には、無意識のうちの他のことはどうでもよくなっていきます。

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小さなことだけを積み重ねようと思った

何かを成し遂げるために、誰もが口を揃えて言うことは、小さなことの積み重ねであること。

成功したい、大きくなりたいという気持ちすらも、やはり「もっと」と思う気持ちでしかありません。

そんなことよりも、とにかく自分が大切にしたいことにだけ集中し、日常の中で大切にしたいものにだけ全力を尽くすこと。

捨てて捨てて、自分が一体何をしたいのかということを見つめ直していくうちに、最後に残ったものはただそれだけでした。

大切にするべきことは、日常の中にある。

ただひたすら毎日のように、それだけを積み重ねていきたいと心から思うようになっていったのです。

何をやっても同じことだと気づいた

人生の半分を占めるのは、やはり仕事をしている時間です。

その中で、一体自分は何を基準にやっていくのか?

資格を取りたい。

給料を上げたい。

昇格したい。

成果を残したい。

そんな気持ちが先行する時代もありました。

しかし、どうしても違和感しかなく、その中心にあるものが見えなくなっていたのだと気づいた感覚がありました。

結局のところは、何をやったとしても、心の穴は埋めることなどはできない。

何が一体足りないのか?

大切にしたいこと。

生きるために必要なこと。

その正体に気づき、他のことなどはどうでもよくなってしまったのです。

行動の基準はたったひとつだけ

私が様々なことを経験し、捨てて削ぎ落していった結果、気づいてしまったたったひとつのこと。

それは、「自分の行動に愛があるのか?」ということだけです。

愛とは一体なんなのか?

それすらも恐らくまだわかってはいないのかもしれませんが、それでも、今の自分の中に感じられる愛というものを基準に行動できるのかどうか。

たったこれだけのことです。

私が息苦しさを感じ、居心地が悪く思い、逃げ出したくなる場所は、愛のない場所です。

何もかも欲しがり、多くを求め、奪い、争うことを繰り返す。

そんなところにはいられないし、私自身もただ奪われ続けていくだけ。

人間は、感情や欲望を持ち合わせている生き物なので、時には間違った行動をしてしまう時もあります。

それでも、失敗から学び、それらを捨てて新しい自分へと生まれ変わっていく。

これが、生きることの本質だと気づきました。

やってしまった。

あの時は自分がいけなかった。

そのことに気づいたら、次は同じことをしないように全力で挑む。

それしかいらないのです。

何もいらないしどうでもいい

挑戦し、敗北し、捨てて立ち上がり、その中で学んだことは、とにかく自分以外のことはどうでもいいし、何も欲しいとは思わない。

生活するためには、確かにお金が必要ですから、仕事はしなければいけない。

ただ、私自身が何かを手に入れたいとか、何かを勝ち取りたいという気持ちはゼロではないですが、ほとんと消えていきました。

お金なんてあればいい。

住むところもあればいい。

生きていればそれでいい。

みんなが笑っていればそれでいい。

もちろん、許せない部分はあり、誰かを蹴落としたり、他人を不幸にしてまで私が手に入れたいとまでは思いません。

目の前から消えてくれと言われれば、今の私なら消えるかもしれません。

気に入られたいとか、好かれたいなどとは微塵も思いませんが、ただ、私はどんなことがあっても自分の行動は愛を基準に考え、実践していきたい。

それだけのことなのです。

今ここで何ができるのか

自己犠牲が過ぎると言われれば、それは良くないことなのかもしれませんが、今の私はそれでもかまわないという心境です。

家庭であろうが、仕事であろうが、友達付き合いであろうが、何かを奪いたいとは思わず、何を提供できるのかだけを考えるようにして生きていきたい。

私の目指すものは、そんな自分になることだけ。

目立ちたいとか、多くを手に入れたいとは思いません。

自分を捨て、欲を捨て、目の前に起こる出来事に何が提供できるのか。

それだけを考え、行動をしていくのみです。

考える必要などはなく、感じるしかありません。

心で感じ、そこで突き動かされる思いが正解だと信じています。

何が正しいのかではなく、どう感じるのか。

見栄やプライド、成果なんてものに私は興味がありません。

ただ、あるのは目の前の人に対して、自分が何ができるのか?

そして、その思いに従って実際の行動ができているのか?

そういった日々を繰り返すことが人生だと今の私は感じています。

明日死ぬと思って生きる

今日が最後の日だと思って生きていく。

これも、あらゆる偉人や成功者が同じことを言っています。

本当の意味で、明日死ぬと思って、今日が最後の日だと感じながら生きるとどうなるのか。

年齢や、経験したことによって必ず違ってくるはずですが、私が思うことは、「何を残せるのか」ということだけです。

明日死ぬと思えと言われると、私利私欲に任せて思いっきりやりたい放題する人もいるでしょう。

誰かを傷つけたとしても、争って奪ってでも自分のやりたいことをやっていくという価値観を持っている人もいるはず。

しかし、私が思う「明日死ぬと思え」という生き方は、悪いことは残さずにいいものだけを残す努力することです。

今日と明日はつながっていません。

時間は今が連続しているだけです。

嫌な気持ちを持たせることなく、誰にも愛情を持って接し、静かに生きて行く。

私の存在などは知らなくてもいいし、いつか思い出してくれたのならそれでいい。

愛を元に行動し、全てを許し、何もかもを捨てて生きる。

そうすれば、何十年後、何百年後も私という存在は、少なくとも接した人たちの心の中に生きていけるのではないか、そんな風に思うのです。

世間体や、見栄、他人の評価などはどうでもいい。

ただ、愛を提供して、いつかわかってくれればそれでいい。

その生き方には、私自身が何も持つ必要などはない。

どこまで生きれるのかはわからないけど、命が続く限りは、愛のある行動だけを積み重ねていきます。

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