「断捨離」を決行してみると、それまでに気づかなかった自分の内面や、新たな世界観を感じることが出来るようになります。
ただ、あまりに「捨てること」「手放すこと」にこだわりすぎてしまうと、それそのものが執着となっていき、再び自分を苦しめることになりがちです。
では、そのようにすれば快適に手放すことができ、本当に自分にとっての幸せな人生、豊かな暮らしが得られるのでしょうか?
定期的に「断捨離」をしてみて、気持ちをリセットしていくことは大切な習慣です。
ですが、いつの間にか目的が変わってしまって、「捨てること、手放すことが正しいこと」だと強く思いすぎると、本当は感じる必要のないストレスをさらに抱えてしまうことになります。
「断捨離」は、自分にとって「ちょうどいい」「心地いい」「快適」「幸せ」と感じるポイントを見つけていくことが本当の目的です。
あなたがもし、捨てても手放しても幸せを感じられない、楽になるどころかさらにストレスが増してしまったのなら、大切な何かを見失ってしまっているかもしれません。
「断捨離」で陥る正しさの罠
「断捨離」に出会って、人生が変わったというのは、よく聞くお話です。
それと同時に、「やりすぎて頭おかしくなった」ということも見聞きしたり、感じたりしたことはないでしょうか?
ここへ訪れ、ここまで読み進めているあなたは、もしかしたらこれまでに習慣化してきた断捨離や掃除、整理整頓に違和感を感じ始めているのかもしれませんね?
あなたに質問です。
今、あなたは人生を楽しめていますか?
この答えが、「はい」でないのであれば、削ぎ落とすことへのこだわりを捨てて、もう少しありのままを楽しむ余裕が必要かもしれません。
「断捨離」によって、「捨てる」「手放す」「離れる」「断ち切る」「削ぎ落とす」などから学べるものは沢山ありますが、「これが正しいこと」だと妄信しすぎることは大変危険で、そこにもあなたがあなたの人生を決定付けている、根本的な性質が隠れていると言えます。
ひとつの答えがあって、それだけが正解だと考えてしまうと、それ以外を否定することにもつながりますし、エスカレートしていくと、周囲の人たちはあなたと一緒にいることにストレスを感じ始め、最終的にはあなたがストレスを感じてしまう環境に置かれることとなってしまいます。
捨てることによるメリットは、当然沢山あるものですが、その「捨てる」という行為がとまらなくなってしまうと、間違いなく人生は不幸な方向へと傾きます。
「捨てる」「手放す」を知った後から、あなたは「何を捨てられるか?」「いらないモノはないか?」と考えながら、いつも捨てる物を探してはいませんか?
これは恐らく、脳科学的な視点で言えば、「捨てた時の解放感」のようなものが「快楽」として感じてしまい、この時に脳内で分泌される何かしらの脳内ホルモンの仕業だと考えられます。
脳内ホルモンと、人間の行動の結びつきは、「〇〇すれば快楽を得られる」というセットで記憶され、繰り返されるたびにそれは強く結びつくと言われています。
つまり、「捨ててスッキリ」の時に分泌される脳内ホルモンの中毒になってしまい、その行動をとれば幸せになれると勘違いして、「捨てる中毒」となり、自分自身を「捨て魔」にしてしまいます。
こういった形で、捨てることに依存してしまうと、それが異常行動であることにも気が付かずに、どんどんエスカレートしていき、最後には捨てるもの、削ぎ落とすものがなくなっていって、脳内の報酬が得られないことに苦しみ出します。
これらを考えると、本質的には中毒的に物を集めてしまう人と性質は同じで、得られる「快楽」にハマっているだけでしかないのです。
フラットに、ニュートラルな位置から物事を判断するためにも、「捨てることが正しいこと」と思わないように注意してみましょう。
快適な暮らしを目指して行く
家の中をスッキリとさせて、快適に暮らして幸せになるために大切なことは、ただ「捨てる」のではなくて、「お気に入りの物に囲まれている」状態を目指すことです。
今、最も世界で有名な日本人とも言える、断捨離とお片付けメソッドを提唱している「こんまり」さんも、かつては「捨て魔」となった時期もあり、そこで気を失って倒れてしまったという経験もあるそうです。
彼女の場合は、ほんの数時間で世界が違って見えるようになったことで、それから「ときめくものを残す」というメソッドが生まれてきたそうです。
それまでは、「こんまり」さんも、片づけることが大好きだったために、それをずっと続けていると、いつしか「捨てられる物」を探すようになっていたと語っています。
この時に、既に脳内ホルモンが引き起こす罠にハマり始めていたのかもしれません。
それが、心身ともに自分へのストレスとなり、限界を迎えた脳がシャットダウンして気を失ってしまったのでしょう。
こういったことは、「断捨離」や整理整頓などを続けていくと、誰もが一度は陥ってしまうものではないかなと思っています。
だからこそ、「自分はどうしたいのか?」をもう一度振り返って、考えてみる必要があります。
あくまで、目指すべき形は、「快適な暮らし」「幸せな時間」「豊かな人生」「心地よい空間」ですので、自分にとってちょうどいい物の量、距離感、扱い方などを見つけて行ってみましょう。
好きなものを大切にしていく
「断捨離」に対する解釈を切り替えていくために、「捨てる」「手放す」「削ぎ落とす」を先の目的とはせず、「大切なもの」「好きなもの」を残すことをイメージしてみましょう。
「こんまり」さんは、トキメくものを残すために、そうではないものを削ぎ落しましょうと語られています。
同じような意味なのですが、本当に好きなモノ、お気に入りの物を残して大切にしていくためにも、それ以外のものは手放してしまいましょうと伝えているだけで、「全部捨てろ」と伝えているわけではありません。
また、メンタリスト「DaiGo」さんは、書籍で「一軍以外のものは捨てろ」と語られています。
これも、同じ意味で、「捨てろ」がどうしても強調されがちですが、とにかく大事なことは、何が自分の中で「一軍」のポジションに来るのかと言うことです。
一度はどん底を味わって、見事なV字復活を果たした「与沢翼」さんも、返り咲いた時の書籍で、「ぶち抜く力を発揮するために、それ以外は排除する」ことをすすめています。
ひとつの目的を達成するために、それ以外は捨てろと強く語っておられ、それが最短最速で達成する手段だと言われています。
極端な意見にも聞こえるかもしれませんが、私たちが目指している目標はただひとつだけ「幸せな人生」でしかありません。
その形は、それぞれ違うことは当然ですが、最も大切なこと、優先すべきことは「幸せかどうか」ということのみです。
好きなモノ、幸せになるものであれば、それがどれだけの量でも問題はありません。
もう一度、断捨離の解釈を変えて、お気に入りの物を選ぶこと、好きな物を大切にすること、目標を明確にすること、一軍はどれか見直すことから始めてみるといいでしょう。
自分のアイデンティティーを大切に
私もかつて、「捨て魔」となってしまった経験があり、沢山の人たちに迷惑をかけたり、傷つけたりもしてきました。
もちろん、それによって最後は私が傷つくこととなり、大きなストレスによって倒れてしまったこともあります。
私は気づいたこと、学んだことが沢山あったので、そういった経験にもダメ出しをせず、今では貴重な体験であったと思えています。
本当に大切にしなければいけないものは、やはり、自分の「好き」という気持ちであったり「楽しい」「幸せ」と感じる物です。
それをやっている時、過ごしている時間などが、自分のアイデンティティーと呼ばれるもので、それさえも手放してしまうようなことをすると、自分が自分でなくなるような感覚へと陥ってしまい、とても苦しくなってしまいます。
人間は、自分のアイデンティティーだけは失ってはいけないもので、それさえ持っていれば、幸せに生きることが可能になるとも言われています。
本当に手放さなければいけない、断ち切らなければいけないものは、そういったアイデンティティーすらも許さない、認めようとしない価値観や概念のそのもので、楽に幸せに生きるために必要なものは、「それぞれ楽しいからそれでいいじゃない」という寛容な心です。
自分にも他人にも優しく、好きなものに囲まれて、好きなことだけをやっていく。
こんなにも素敵な人生はありませんね。
あなたがやっていたいこと、持っていたい物。
それをこの先もずっと大切にしていけたら、何があっても幸せに生きられると私は信じています。