職場で掃除の習慣を今まで以上に徹底するようにしました。
私は自分の中で自分のためにと思ってやりはじめたのですが、やはり変化は起こりました。
やり続けると、どんな現象が起こるのでしょうか?
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朝出社したら最初に掃除をする。
ごみをすてて乱れた場所を整える。
私はただこれだけを毎日続けています。
そうすると、周囲では不思議な現象が起こり始めます。
最初は白い目で見られる
それまでは、掃除をおろそかにしていた職場でしたので、急に狂ったようにやり始めた私を見て誰もが白い目で見ていました。
「どうせ続かない」
「掃除にハマっている」
「うざい」
「余計なお世話」
「仕事をしていない」
散々なものです。
ですが、私はどうしても信念を曲げたくはなかったですし、やり続けると決めた意地もあったので続けています。
ただ、この段階では誰も手伝ってはくれませんし、ただ他人事のように見ているだけです。
群集心理というやつでしょう。
ただ、私がおかしくなったとしか見ておらず、みんなに白い目で見られていました。
周囲の行動が二極化していく
ずっと私が行動で表現していると、さすがに周囲の人たちは反応し始めます。
ただ座ってたばこを吸いながら雑談している前で、汚れたところを掃除してればうざがられます。
ですが、私はただ自分がやりたいからやっているだけ。
プレッシャーをかけたり、嫌味でやっているわけではありません。
誰のためでもなく、自分のためだけに行動しています。
そうすると、こうした私の行動を見た人の反応は二つに分かれていきます。
一方は、僻みのようなマイナスのとらえ方をし、怒り出す人たち。
一方は、温かいプラスの感情で少しでも力になろうとしてくれる人たち。
「余計なことするな」と怒り出す人は決まって自分が掃除をできない人たちです。
自分ができないことが露呈されるので、それをやめてほしいのでしょう。
ですが、わかってくれる人はわかってくれるのです。
職場の風紀が乱れ、仕事の足かせとなっているものがきちんと理解できている人は手伝ってくれます。
こうした二極化の流れが、嬉しくもあり悲しくもなる現象です。
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より高みを目指すために!
今よりももっと成長すること。
より高いところへ上り詰めるために、毎日が挑戦です。
今日もめげずに掃除をする。
誰かに何かを言われたとしても、私はやり続けます。
それがいつか大きな力になると信じて続けるだけ。
ここで自分の信念を曲げてはすべてが無意味になってしまう。
一度始めたことはずっとやり続けたい。
ましてや、掃除というどこでも大切な習慣なのですから尚更です。
それに、掃除は日本が世界に誇る素晴らしい文化でもあります。
これを守らずして日本人を名乗れるものでしょうか。
俗世にまみれ、群衆の中に紛れればそれは楽な生き方かもしれません。
ですが、私はそんなものには興味を持てません。
もっと強く、もっと高みを目指すために、日々精進していきたいのです。
だからこそ、明日も一日掃除をやり続けます。
負けてはいけない!
周りの批判や、僻みや愚痴は、私を止めようとする意見としか見ていません。
私の邪魔をしたい、やめさせたいから言っていることにしか聞こえません。
やるべきことはまずは掃除です。
何かをする前には掃除。
終わったら掃除。
これの繰り返しです。
職場が汚ければ何をやってもダメ。
仕事は信頼でしか成り立たず、掃除もできない人間を誰も信用はしません。
だからこそ、人の掃除力が必ず社会貢献となることを信じているのです。
周りの意見に流されてはいけない。
足を引っ張る意見に負けてはいけない。
どこまでも自分の信念を貫き、やり続けることに意味があると私は思っています。
最後は自分との闘い
周囲の反応は気にならないかと言えばうそになります。
ですが、「やめろ」と言われてやめるようでは始めた意味がありません。
自分が「正しい」と信じた道だからこそ、まっすぐ進むのです。
他人に流されないよう、めんどくさいからと自分に負けないよう続ける。
やはりどこまで行っても自分との闘いです。
この先でこの習慣がどんな意味をもたらすのかは私にもわからない。
ただ、絶対に何かの力になることだけは不思議と強く信じられます。
あきらめず、ただひたすらに掃除をする。
いつ終わるのか?
終わりがあるかもわかりませんが、どこまでも自分との闘いを続けてみようと思います。
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