どうしてだかわからないけど、いつもモヤモヤする。
楽しいはずなのに、いつも心が満たされずに過ごしている。
それは、心の中で起こることが、心へ反響して感じている感覚なのです。
とてもシンプルで、単純なことに気づけば、心は落ち着き、毎日を幸せに生きられます。
どこかでいつも、「もう少しこうだったら」とか「あの人みたいに」と思ってしまいがちですが、その思いが自分の中に不足感を生み出してしまうのです。
誰かと比較することをやめる
夢を持ち、やりたいことへ向かって努力することは、とても素晴らしいことです。
ただ、いつも「別の何か」になろうとしたり、「誰かと比べる」ということをやっていては、お金と時間がいくらあっても足りません。
「本当に自分がやりたいことはなんなのか」をしっかりと見つめ直せば、他人の価値観で生きることは避けられます。
スマホの普及によって、様々な情報が飛び込んできますが、SNSなどで見かける成功者と呼ばれる人や、幸せそうに生きている人たちは、「それはそれ」で楽しんでいるに過ぎません。
同じように何かを見つけ、成功しなければいけない義務などはどこにもありません。
比較や嫉妬などは、ただ今の自分を苦しめてしまうばかりです。
それなりに幸せに生きるためには、今の生活で十分満ち足りているはずですし、その中で楽しむことはいくらでも出来るはずなのです。
「足るを知る」や「幸せを見つける」という言葉が、毎日を楽しくするヒントとなります。
幸せの条件はそれぞれに違っていて、同じところへと這い上がらなくても、今のままで幸せになれるものです。
小さな幸せを数えていく
幸せになれるか、そうでないかは、生きている中での条件によって決まるものではありません。
仮に「何かがそうなれば幸せ」という条件があるのであれば、その反対側には必ず不幸があります。
それを負い続けている以上は、心が満たされる時はやって来ないでしょう。
大切なことは、「ないものを追いかける」「失うことを怖れる」のではなく、「あるものを大切にする」「幸せを感じる」という意識です。
「失ったもの」「やっていないこと」「出来ていないこと」を見つめ、数え続けると、それは今の自分を苦しめていくだけです。
他者の幸福を羨み、比較することがそれにあたり、外側で展開される成功と呼ばれる幻想に振り回され続けます。
また、その不足感は、自分へと向けられるだけでなく、身近な誰かにも向けられるようになり、意味もな接する人を傷つけていきます。
指導や教育、しつけなどといった仮の名目で、ただ、「出来ていないこと」をを指摘し、どうしようもないことを言い続け、苦しいだけの努力を課せる場面は、あらゆるところで毎日のように行われています。
物事には、表裏一体と呼ばれるように、両側面が同時にあるものです。
「出来たこと」「良かったこと」「学んだこと」「得たもの」をいつも意識し、その小さな幸せを数えていくことが、幸福な人生への第一歩です。
美味しい物を食べて、「美味しかった」とするか「お金がなくなった」とするかは、自分で決められます。
行動は同じなのに、幸せか不幸せかは全く違い、全て自分で決めているのです。
自分の「出来ていない事」「持っていないモノ」は気にせず、「出来たこと」「良かったこと」だけを数えていきましょう。
何があっても幸せになれる
両側面が必ずある中で、自分がどの答えを受け取り、決定づけるのかによって、毎日の暮らしの幸せは決まり、それが自分の人生となります。
「あの人がしてくれない」「私は出来なかった」、「だから不幸だ」、「あの人だけ幸せになってずるい」。
そんなことはないはずです、あの人がしてくれたことは、他にも沢山ありました。
そのおかげで、出来たことがあったはずです。
そのせいで不幸になったのではなく、自由という幸せを与えられたはずです。
あの人が幸せになっているのなら、妬むのはやめて、自分も幸せになればいいだけのことです。
何があったとしても、自分自身で受け取り、決定していく力さえあれば、必ず幸せになれます。
恋人に別れを告げられても、あなたの人格が否定され、傷つけられたわけではありません。
貴重な経験を与えてもらい、もっと素敵な誰かに出会うために、自由になったのです。
経験と学びを得た自分は、次に出会う誰かともっと幸せな時間を過ごすことが出来ます。
人との関係だけでなく、金銭面や、仕事などでも全て同じです。
幸せな人生を送る方法は、世間で騒がれる成功や、勝ち取る栄光に限ったものではなく、「幸せになる力」をつけることです。
幸せに生きる人は、その能力を訓練によって積みかさね、自ら幸せを生み出しています。
どんなことがあったとしても、必ずその中に「大切な何か」が隠されていますので、そのことを大切にして、次へとチャレンジしていけば、心は充足感を得て満足することでしょう。