苦しみや辛さから解放されるには、心の整理が最も効果的です。
断捨離は、物質を通して、自分の中にある執着を手放す訓練のようなものです。
そこにこだわる理由、そうしていたい思いは、自分しか知らないことです。
ストレスを感じるようであれば、それはやめるべきタイミングです。
どれでも、辛さに耐えながら継続するのであれば、そこに執着があるはずです。
人、モノ、お金への依存心から、執着が始まり、抜け出せないでいるのです。
断捨離によって、ただ減らしていくだけでは、苦しみからは解放されません。
執着を手放そう
あなたは、何に執着していますか?
その執着の先には、不安や恐怖という感情があり、それを覆い隠すように何かで包み込んでしまっていることでしょう。
執着を手放し、自分自身を解放することは、勇気のいることですが、怖いことではありません。
一時的に違和感を感じても、その後はとても楽に生きることが出来るようになります。
自分が予測している不安な出来事は起こりません。
全てを手放したとしても、何も変わることはありません。
むしろ、執着を手放したほうが、不安や恐怖は消え去っていき、大きな安堵感を覚えます。
生きて行く上で、必要なものは心と体のみです。
それ以外の要素は、楽しく生きるための副産物のようなものです。
やめてみることから始める
そうしていないと、それを持っていないと不安なのではないでしょうか?
そこで、新たな生き方へとチャレンジするのであれば、ひとつずつやめてみましょう。
まず最初にやめることは、ストレスを感じること、苦しいことです。
本当にやりたいことであり、心からやりがいを感じていることであれば、肉体的な辛さはあっても、苦しいとは感じないものです。
イライラする、嫌な気分になるのなら、それは自分の人生において必要のないことです。
誰もそれを強要はしていませんし、やっているのは自分でしかありません。
「嫌ならやめれば?」
というシンプルな声を、どう受け取るのかです。
そこから、ひとつずつの行動を決定することが、人生をよりシンプルにし、依存を脱出し、自立へとつながっていきます。
何があっても大丈夫
物を捨てられない、人に依存してしまう、ないものを追いかけてしまう人は、常に何かに不安を感じています。
ですが、その不安は自分自身が抱えて生きている以上は、何をやっても拭い去ることは出来ません。
自分で生み出す不安は、自分で手放さない限りは、永久につきまといます。
一度、何かをやめてみて、手放してみるといいでしょう。
何も起こらない、不安はただの幻想であったことに気付けるはずです。
それが、自分を目覚めさせ、本当の人生を生きる感覚を取り戻すキッカケとなります。
何があったとしても大丈夫なのです。
それをやめても、誰も咎めることはありません。
それを捨てても、必要になることはありません。
別に行かなくても、何の問題もありません。
ただ、自分自身の中に、その結果を受け取ることが出来ない恐怖と妄想があるだけです。
実際には、何も起こることはありませんし、大丈夫なのです。
手放せば解放される
自分が手放さないから、縛り付けられてしまうのです。
因果応報という言葉があるように、自分でやっていることが、そっくりそのまま跳ね返ってきているのです。
しがみつけば、疲れるだけで、身動きもとれないままです。
手放せば、流れに身を任せることができ、身軽になれます。
自分自身を解放するために、執着していること、モノを手放してみましょう。
その先に、新たな自分の世界が待っています。
諦めて、流されて、力を抜いて生きることを覚えてしまえば、怖れはなくなります。
自分の可能性を解放するために、心の中にある執着を手放してみましょう。