
「何もしないで過ごす」と聞くと、どうしても「怠惰」「うつ」「無価値」などといった意識が生まれ始めます。
しかし、その「何もしない」ということを否定することから、「何かする」ことだけに価値を見出すようになっていくことで、自分自身の人生を苦しいものにしてしまいます。
何かをしていようがしていまいが、価値は変わりません。
今、何かに苦しく、辛い現状にあるのなら、「何もしない」を許可し、無限の扉を開くタイミングかもしれません。
あなたの人生はあなただけのもの。
私の人生も、私だけのものです。
それは変わることはありません。
どれだけ文明が発展し、社会や世界情勢が変わったとしても、人生とはたった一度きりの自分の物語でしかないのです。
「何もしない」を許し、そこにも「何かをする」ことと同じ価値があることに気づけば、可能性は無限大に広がっていきます。
「何もしない」をすると新たな世界が見えてくる
何かをすること、頑張り続けること、常に努力をすることは否定は出来ません。
それと同じように、何もしないこと、休むことも否定は出来ないことに気付けるかどうかです。
動いたら休む。
休んだら動く。
たったそれだけのシンプルなものを、どちらかだけに価値を見出すことによって、その反対側を無価値だと判断し、否定してしまうから、生きることが苦しくなってしまうのです。
「何もしない」をするということは、休むことを許可するという単純なものです。

ジブリの名作「魔女の宅急便」でも、見習い魔女のキキと、絵描きのウルスラが、これまでやってきたことのスランプについて語り合います。
ここでウルスラは、「描くのをやめる」ということをアドバイスとしてキキへ伝えています。
「何もしない」と言えば、やはり「くまのプーさん」です。
プーもまた、生き急ぐロビンに対して、「何を焦ってるんだい?」「僕はいつも何もしないをしているよ」と語り掛けます。
「何もしない」とは言っても、生きている以上は必ず何かをしていることになります。
頑張ること、努力するべきことのベクトルが変わるだけで、何もしないをやってみる、全力で休む、遊びに一生懸命になることも大切なことなのです。
これまで頑張ってきたことをやめたとしても、決してそれが無駄だったわけではありません。
人生の全てを否定されてしまったわけでもありません。
ただ、疲れてしまっただけなのです。
「何もしない」の先にあるものは、再び「何かをしたい」という情熱を呼び覚ます新しい世界が待っているのです。

「何もしない」を続けると導かれていく
部活をやめること、学校にいかないこと。
勉強しないこと、働かないこと。
ひきこもること、何もしないこと。
そういったことを責めないであげましょう。
その、「何もしない」状態を無価値、怠惰と認識して、責めたり咎めたりすることによって、やがて自分自身が苦しくなってしまうことでしょう。
「何もしない」ということにも、大きな価値が眠っています。
かつて、体育会系の人たちが日本社会を創り上げていた時代、当時は「オタク」と呼ばれた人たちは、居場所をなくして、家の中や二次元にしか自分の価値を感じられる世界を見いだせませんでした。
ですが、今となってはどうでしょう。
近年の日本社会は、ひと昔前に「オタク」と呼ばれ、ダメ扱いされていた人たちが支え、大きな飛躍をとげ、世界的にも認められる文化を創り上げました。
家に引きこもっても、行動していなくても、寝てばかりでも、何もしていなくても、そこから再び大きな価値が生み出されていくものなのです。
「無」の中から全てが生み出されていき、時間をかけて光り輝くものです。
学校に行かなくても、部活をやめても、引きこもっても、無職でも。
それは、次に大きく羽ばたくための大切な時間となるのです。
次につながる何かを模索し、自ら道を切り開き、これまでになかった世界を展開するために、その「何もしない」という時間が必要なのです。
「何もしない」という時間は、無限のエネルギーを秘めた貴重な時間なのです。
無限の扉が開かれていく
あなたがもし、お金も時間も際限のない状態にあったとしたら、何をするだろうか?
やりたいことがあっても、それができない理由が存在している。
そのように考えるのが一般的で、それを成し遂げるために準備を整えていく。
もちろんそれが当たり前として植え付けられ、そう認識している以上はその順序でしか物事は進まないでしょう。
ただし、それは同時に自分自身の無限の可能性を信じず、制限をかけて道を細く、夢を小さくしてしまっているに過ぎないのではないのでしょうか?
「何もしない」を許可した瞬間から、無限の扉が開いていくことを感じられる事実を信じてみれば、それに見合った軌跡を起こすことが出来ます。
やりたいことが出来ない理由は、お金がない、時間がないといったことがほとんどでしょう。
ですが、ここにパラドックスが存在します。
「〇〇がないからやりたいことが出来ない」のではなく、「やりたいことをやらないから〇〇がなくなる」のが真実です。
やりたいことやるためにお金を稼ぐ。
時間とお金を稼ぐために我慢をして働く。

これを続けていき、「何もしない」を許可せずに我慢をすることによって、時間やお金をさらに失い続けます。
そうして、永続的に「やりたいこと」は出来ずに人生の残りの時間は少なくなっていってしまうのです。
「しなければいけない」「してはいけない」といったルールは、自分で自分に課せているものであり、そして言い訳でもあるということです。
「何もしない」をすることを許し、実践していけば、必ずや自分を導く道が見え始めてきます。
そして、無限の扉は最初から開いていたことにも気づくでしょう。
それはしなくてもいいことで、してもいいことでもあります。
苦しい人生、努力が必要な人生を脱出したいのなら、自分の新たなルールを生み出し、そのルールの中で生きてみましょう。
「何もしない」をすると、無限の扉が開きます。
信じるか信じないかはあなた次第ですが、いずれその時は訪れます。
人生の中で、早いか遅いかの違いがあるだけで、「何もしない」=「無限」という真実に気づけば、そこから素晴らしい物語が始まります。
「何もしない」をやってみましょう。
自分の中にある無限の可能性を感じてみましょう。
そして、光溢れる世界を心に思い描き、その道を信じて進みましょう。