
これまで、色々な経験をしてきて、ブログでも様々な記事を書き残してきました。
何が正解なのかもわからず、ノウハウを漁ったり、答え探しをしたりもしてきました。
ですが、やはりこれといった答えは出ることはなく、あるのは私が今思うことがあるだけです。
なぜ私たちは生きているのだろうか?
そんなことを考えることは多々あります。
しかし、私たちは大自然の中、宇宙の中で生かされているだけであって、幸せを感じられる人間へと成長することが、生きることのテーマなのかなと感じています。
幸せになるのではなく、幸せで在る、幸せを感じるというところに辿り着くことが、最後の答えなのかもしれません。
何がしたいのかがわからない
私は、なりたい自分、見たい世界はいつでも心に描いていました。
ですが、子供の頃は学校でいじめられ、両親からは価値観を押し付けられ、部活の顧問には自分だけいつも殴られていました。
社会へ出ても、人とは上手くいかず、仕事では大きなミスを繰り返し、プライベートでは離婚をし、恋愛もこれまでに上手くいったことは一度もありません。
子供は学校へ行かなくなり、生活は苦しく借金は増えていくばかりです。
これは一体何なのでしょうか?
まるで、何もかもが私に降りかかり、世界はカオスにしか見えません。
心が世界を創っていることは知っていますが、カオスを受け入れることが、人生なら、幸せな世界はどこにあるのでしょうか?
何がしたいのかわからず、私はどう生きればいいのでしょうか。
全てが私を導いていた
と、少し前までは世間を呪い、外側を憎んでばかりいました。
ですが、全ては私を導くためにあったプロセスで、「あなたはこれをやりなさい」と言われていることに気づきました。
ブログを始めて、あらゆる手法を試して、どうにか上手くいかないかと続けてきました。
稼ぐためにやったこともあり、楽しいことを投稿し続けたこともありました。
そのどれも続くことはなく、今はもう、思いのたけをぶつけることしか書くことがなくなりました。
結果は全くついてきてはいませんが、もしかしたら、これが私の運命なのかもしれないと、今は受け入れています。
あらゆる書籍を読み漁り、ノウハウを学んだこともあります。
過去の偉人たちが、時を超えて私を導いてくれています。
現代を生きる強いひとたちも私を導いてくれています。
私のことは誰も知らなくても、それは関係ありません。
外側にあるものが全て、私を導くからです。
堀江貴文さん、ワタナベ薫さん、与沢翼さん、イケダハヤトさん、IKKOさん、中村天風さん、田宮陽子さん、こんまりさん、ヒカキンさん、岡村隆史さん、だてめがねさん、ゆうこすさん、吉田松陰さん、親鸞聖人、ブッダ、釈迦、バシャール。
それだけでなく、身近で関わっている人や、飼っている犬。
置いてある物や、生きている花や植物、建物や車、天候や自然現象。
それらのあらゆるもの全てが、私に「ブログを書け」と言っているように今は感じます。
何を書いたらいいのかも全くわからないのですが、「ブログを書け」ということだけは今はわかります。
そこに、過去も未来も存在することはなく、あるのは書いている間だけは心が落ち着くという事実だけです。
先日、娘と「天気の子」をシアターで見てきました。
やはり、そういうことだなと感じました。
外側はカオスであって、当たり前のことを忘れた狂った世界に見えるかもしれないけど、それは自分で変えられる。
私はこの作品を通して深く感動しました。
誰もが導かれている
どんなことがあったとしても、それは上手くいくための導きであるということ。
誰かが悪いわけでもなく、何かがダメだからでもなく、ただ導かれているだけ。
私は、何がやりたくて、何が好きなのかもわからず、どこへ向かっているのかも全くわかりません。
ただ、何をどうやっても、どこへ行っても、「ブログを書く」というところへと連れ戻されてしまいます。
それが、導きであるということ。
誰もが今も、どこかへと導かれています。
どこをどう辿ろうが、何をどのようにしようが、自ら受けた天命をやらざるを得なくなっていきます。
それを受け入れることによって、道は開かれていき、全てはここにあったのだと気づかされるものです。
書きたいから書くを続けていく
ネットで発信すると、必ずそれを止めようとする力が働き始めます。
邪魔が入ることは避けるという流れもありますが、邪魔されると感じるかどうかすらも自分の認識であって、それが当たり前と思ってしまえば何も感じることはありません。
今、あらゆることを発信して活躍されている方は、私たちが気にしているようなことは微塵も気にしてはいないでしょう。
そんな小さなことを気にしているようではやっていけないというのが事実だと思います。
どんな意見を発信したとしても、賛否両論あるのは当たり前のことで、物事はいつでも表裏一体です。
いいところを見つけて、幸せな解釈が出来る人たちは、いつでも幸せに生きられます。
悪い所を見つけて、責めたりダメ出しする人たちは、何をやってもダメなところを見続けて、不幸になります。
私は、ただ書くことが楽しく、書いている時だけが心の休まる時間なので、思ったことを書いていこうかなと思います。。
どちらの側面を見て、どう解釈するのかはその人次第ですので、私の考えるべき課題ではないかなと思えるようになりました。
幸せで在りたい
私が常日頃から思うことは、幸せを追いかけて、幸せを求めるのではなく、今幸せで在りたいということ。
まだ何も達成はしていませんし、世間で言われる成功などは何一つ成し遂げていません。
ブログも、あらゆることをやってきたものの、弱小カスブログと呼ばれるものです。
それでも、何かを感じて、見に来てくださっている人たちがいることは、とても嬉しいことです。
色々な経過をたどりながら、今こうしてブログを毎日のように書ける日々を送れています。
これは、思い描いてもいなかった幸せな形が今ここに在ることを証明しています。
バズることもなく、大きなPVを稼ぐこともありませんが、その舞台に立っていること自体が、すごいことなのだと今更気づかされました。
好きなことを好きなように出来る日々は、すでにここにあったのです。
私は、追い求めることをやめ、ないものを探すことをやめ、今という瞬間に幸せで在りたい。
今はブログを書けることがとても幸せです。
あるのはただ、それだけです。
最後までお付き合いいただき、ありがというございました。