
ステメンズブログのステローです。
これまでにあらゆるものを捨てて、やめて、手放していきましたが、最終的にはそれもやめてしまいました。
結局は、全てやめても大丈夫ということ。
心に従うことは、楽な生き方をすればいいということ。
頑張って継続した先にあるものは、「めんどくさい」が重要だということだと私は思いました。
仏教の世界でも、「悟り」とは神や仏のように無になり、完全体になることではなく、「そうはなれない」を自分の中で悟ることだと言われています。
私が全てを悟ったと言えばそれは傲りでしかありませんので、仏教をの悟りを例えとして書かせて頂きました。
めんどくさいことはやめた
新たな何かへの挑戦が始まる時には、とてもワクワクするものです。
いくらやっても楽しさは失われず、時間を忘れてクタクタになるまでやっていられます。
しかし、ふとした瞬間にそれが嘘のように終わってしまうことも事実です。
あんなに楽しかったはずのことが、全くときめくこともなく、ただめんどくさいことをやっているようにしか感じられなくなるのです。
この「めんどくさい」という言葉を使うと、怠惰で向上心がないと必ず言われます。
ですが、その心の中にある私の感覚は本物であり、何を言われても変わることはありません。
人とのトラブルや、悩みや問題が発生してしまうことのヒントは、私はここに隠されていると思います。
認めないと歪んでいく
好きなこと、楽しいことを始めていき、継続していくと、どこかで飽きてしまうことがあります。
男女の関係で、心変わりだけはどうしようもないことと同じで、頑張ってその状態を維持しようとし始めた時点で、もう「ヤメ時」を通り過ぎていると私は感じます。
やめるべきタイミングは、誰でも本当は自分の中でわかっているもので「楽しくなくなった時」が終わりの時です。
この当たり前の感覚を忘れて、耐えること、頑張ること、我慢することによって維持していくと、現実は歪んでいってしまいます。
私自身、その時にはなぜこんなに頑張っているのに認められないのかととても苦しみました。
正しいことをしてるのにどうしてなのかと悩みました。
それは、楽しい、好きという気持ちを忘れて、正しさだけを追いかけてしまっていたからです。
恐らく当時は、いつも鬼のような顔をしていて、言葉はきつくなり、物は乱暴に扱っていたと思います。
知らないうちに沢山の人たちを傷つけたりもしていたことでしょう。
私が多くを望み、不必要に頑張っていたことが、身近な人に迷惑をかけてしまっていたのです。
「めんどくさい」が重要なポイント
めんどくさいという言葉は、自分を知るのにとても重要な感覚になります。
好きなこと、楽しいことへは、目を輝かせて向かって行きます。
やりたいことというのは、本来そういった形で行動へ現れます。
頑張るのは、ただ好きなところへ向かうためにやっていることで、その時には無限の力が湧くものです。
しかし、めんどくさいと感じた時点で、そこに心躍るような感覚はなく、さほど力も出なくなります。
これが、楽しくなくなったというサインだと私は思います。
疲れるようなことはしない。
めんどくさいことはやめていきます。
潜在意識の力に任せる
ここでなぜ潜在意識のお話になるのかというと、この「めんどくさい」という感覚が、全てを叶えてくれる鍵だと私は思っているからです。
引き寄せの法則で言われるせ、潜在意識と宇宙の力は、「あなたは何も頑張らなくてもいいですよ」ということであって、めんどくさいことはしなくてもいいんだと私は認識しました。
哲学書などでも、「流れるように生きる」や「何もしない」といった言葉が出てくるように、全てに精通する答えは、やはり素直であること。
そして、「めんどくさい」と「楽しい」は素直の真骨頂のはずです。
なぜだか「それでも頑張らなければいけない」という構図が出来上がっていますが、本当は誰もが心の中で「誰かやめようって言わないかな」と感じていることは多々あるのではないでしょうか。
そこで、自分の心に正直に、一人だけでも抜けることができるかどうかが、楽に生きられる方向へ進めるかどうかの分岐点なのではないかと私は思っています。
潜在意識の力に任せ、引き寄せの法則を使いこなすことは、めんどくさいことはやめて、好きなことだけをやっていればいいのだと私は思います。
何も考えることなく、生きたいように、思ったように、ありのままに心のままに生きることが、潜在意識の力を最大限に発揮し、あらゆるものを引き寄せ、あらゆることを可能にするのだと私は感じました。