
悪習慣は、人生を台無しにしてしまうものだと、自分を正し、律する気持ちでルーティーンを確立させようと努力することは素晴らしいことです。
ですが、どうしても断ち切れずにどこかで深く悩んでしまうタイミングもあります。
その時には、ダメな自分を責めず、自己嫌悪や自己否定する気持ちは持たないで下さい。
気づきを得て、大きく飛躍するチャンスですので、思考を少し柔らかくして、ライフスタイルをシフトさせていきましょう。
あなたは今、何かの理由によって、悪習慣を断ち切ろうと頑張っていることでしょう。
少しでも良い方向へと努力することは、とても素晴らしいことです。
しかし、やめられない自分に悩み始めたのなら、次のステージへと進む時が来たということです。
やめられない自分に嫌気がさして来た時には、また新たにやめるべきことが発生していることに気付けるかどうかです。
さらに成長していくために、思考の軌道修正を行ってみましょう。
それをやめよう
より良い人生を歩もうと、悪習慣を断ち切る訓練を始めたとして、それを継続はしてみたものの、一向にやめられない自分がいて、そのことに悩んでいる。
ここで何かに気づきませんか?
始めのうちは、それをしている自分が嫌で、断ち切ろうと努力し始めたはずです。
しかし、継続していくうちに、やめられない自分が嫌だという悩みが新たに発生しています。
つまり、それをすることによって、悩みが増えているということです。
やればやるほどに苦しくなるだけですので、すんなりやめられる日まで、やめようとすることをやめましょう。
今はどれだけ努力しても変わらない、やめられないという自分をどこかで認めて、やめることをやめてしまえば悩むことはなくなります。
悩みや問題は認識で連鎖する
やっていることを問題視して、悩みとしてしまえば、それは問題となり、悩みとなります。
また、それをどうにかしようとすればするほどに問題は増えていき、悩む時間がずっと続きます。
始めから、それはそういうものとしていれば、何の問題もありません。
単純に認識の問題で、悪習慣とするかどうかは自分で決められることです。
一度や断ち切ることにチャレンジしてもいいのですが、どこかで出来ない自分を認めて、何も問題はないことを再認識しましょう。
苦しいことをしなくてもいいし、正そうと頑張らなくてもいいのです。
それをやっている以上は、ずっと悩みを抱えた状態、苦しい状態が続くだけですので、時間とエネルギーを無駄にするだけです。
人生は時間で出来ていて、有限なものですから、苦手なことや不足を埋めること、できないことをやろうとすることはやめたほうが幸せに生きられます。
自分を知っただけと思おう
悪習慣を断ち切れないことに悩む必要はありません。
一度挑戦して、継続してみてそこから何を学び取るかです。
やめられずに悩んでいるのなら、そこから導き出した答えは、「今はやめられない」「それをしていたい」でいいのです。
釈迦やブッダは、あらゆる修行を積んだ先で得た答えは、「人の煩悩は落とせない」「人間の欲望はなくならない」ということだと言われています。
浄土真宗を開いた親鸞聖人と、推円が遺した歎異抄では、修行や苦行は意味がないことを示しています。
一休宗純も、住職でありながらもあらゆる戒めを片っ端から破って生きていたものの、人々からはとても好かれていたとのこと。
最後に行き着く答えは同じで、ありのままそのままで生きること。
今の自分を受け入れて、幸せを感じながら生きることだけです。
無理に何かを変えようとしないことです。
成る時には成り、成らない時には成らない。
それが人間と言うものだということ。
それでいいのです。
あなたはあなたでしかなく、私は私でしかない。
それだけのことなので、落ち込まず、自分を責めず、許し、受け入れ、楽しく過ごせる時間を増やしていきましょう。