これまで、沢山の努力を重ねて、苦しいことにも耐えて頑張ってきたつもりでした。
上手くいかないことがあっても、自分の努力が足りないからだ、だからもっと頑張らなければいけない。
そう強く信じて、出来ない事にも挑戦して、やっていないことをやって、何でも出来る大人を目指して頑張っていました。
それでも、苦しみはなくなることはなく、終わりのない道を走らされ、どうしてこんなにも上手くいかず、報われないのかとさらに悩むばかりでした。
ある時、全てのことに八方塞がりになり、何もできなくなってしまいました。
頑張っても報われない
心の中で、積み重ねてきた何かが音を立てて崩れ去って行くような感覚でした。
全身の力が抜けて、自分が何をしているのか、一体何者なのか、そして、どうしたいのか、どこへ行きたいのかもわかりませんでした。
毎日放心状態で、今日一日を生きるのが精いっぱいで、消え去ってしまいたいと思っていました。
もしかすると、もうすでに消えているのかもしれない感じもありました。
どうしてこんなに辛い目に遭うのか、なぜ自分の人生は不幸なことばかりが起こるのか。
人を恨み、呪い、憎むことしかできないものの、だからと言って何かができるわけでもありませんでした。
そんな毎日を積みかさねていき、ふとした瞬間に、光が射しこみました。
これまで、全て自分で自分を痛めつけていたこと。
頑張れば報われるのだと信じて、自分も他人も傷つけていたこと。
それをやっているのは他でもなく自分であって、止めることができるのも自分。
それ以来、私は頑張ることを一切やめました。
幸せに生きること
人として、何が幸せであるのか。
私が頑張ることをやめると、ふざけている、怠けている、甘えていると言われます。
しかし、私は真面目に頑張ってきても、いいことはひとつもありませんでした。
不足を埋めようと必死になっても、理想と現実のギャップは永久に埋まることはなく、誰かの期待に応えることも嫌になってしまったのです。
私は、やりたくないことはやめて、やりたいことをやっていく。
いいかげんに、適当に、大胆に生きて行くことが、私の生きる道なのだと確信しました。
いつも頑張っていると、人を傷つけます。
頑張るは甘えです。
頑張るは逃げであって、他人のレールを走っています。
私もかつて、人に迷惑をかけまいと一生懸命にやっていましたが、そうやって頑張ることが最も迷惑なことだと気づいていませんでした。
頑張ると、幸せは逃げていき、成せることも成せなくなっていくだけです。
私は、頑張ることはやめて、どんな瞬間でも幸せに生きることを選択します。
頑張っていることは滅びる
努力を積み重ねて得るものは沢山あります。
ですが、維持していくために頑張らないといけないことなら、それはいつしか終わりを迎えます。
好き、楽しい、やってみたいという意欲を失い、義務になってしまえば、それは苦行でしかなくなってしまうのです。
人との関係や、組織の在り方としても、頑張らなければ保てないような状態であるのなら、力を抜いた途端にそれは滅びることを意味しています。
頑張らないといけないようなものなら、成り立っているとは言えません。
多くの修行を積んだ釈迦やブッダも、苦行の末に導き出した答えは、「人は人でしかなく、仏にも神にもなれない」ということ。
親鸞聖人と弟子の推円が遺した歎異抄にも、「悪人ほど救われる」という言葉があり、怠惰でやる気のないように見える人ほど、悟りを知っていることを意味しています。
破天荒な人生を送ったとされる一休宗純も、あらゆる戒めを破り続け、好きなように生きていたものの、村の人たちからは好かれていたという逸話もあります。
だからと言って、努力している人を卑下しているわけではなくて、真の悟りは「頑張らないこと」だと私は思うようになりました。
大切なことは、「心」です。
その「心」を失ってまで、すり減らしてまで頑張って、私は一体何をやっていたのかと今では思います。
違う何かになろうとして、いつも何かを追い求めていて、それが自分も他人も苦しめていた。
だからもう、頑張るのはやめて、人生を楽しむことをこれからは大切にしていきたいと思ったのでした。
笑顔になればそれでいい
頑張っている時の私は、恐らく笑うことがなく、鬼のような顔をしていたでしょう。
そうやって何でも自分で抱え込んでいき、自分が頑張っているのだからと他人にもそれを強要し、関わる人たちのエネルギーを奪い続けていたことでしょう。
不機嫌な時間がとても多く、成し遂げるために多くの犠牲を払い続けていました。
しかし、全ては最初から完璧に揃っていて、何も不足はないことに気づかされました。
もっと、もっとと努力を重ねて頑張っていく経験も必要ですが、滅びるのはもう間近に迫っています。
最後に残るものは、私の笑顔と大切な人の笑顔。
そして、関わる全ての人たちの笑顔を大切にしていくことだけです。
好きなことだけやっていこう
いつからか、私たちは頑張ることが凄いこと、素晴らしいことになってしまい、その真似事ばかりをするようになってしまいました。
ですが、客観的に見て頑張っているように見えているだけで、その人は頑張っているわけではなくて、好きでやっているだけです。
好きなことは、頑張るという感覚はありません。
他人がそう評価しているだけです。
「だからあなたも頑張って」
などと言うのはおかしな話であり
「だから私も」
というのも少し違和感があります。
私はこれが好きでいつまでもやっていたい。
あなたはそれが好きでずっとやっていたい。
あるのはそれだけで、それが互いに違っているだけ。
私はもう、嫌なことを頑張ってまでやりたくはありません。
そこに、正しいも間違いもありません。
頑張る生き方は、もうやめました。