
何が幸せで、自分が何をしたいのかがわからなくなってしまう時があります。
それは、どこかで自分自身の感情や、意思を押し殺すことを覚え、それが癖になってしまっているからでしょう。
日本人は、「しなければいけない」という概念にいつも縛られています。
確かに、後になってみればそれが正しいことだということは理解できます。
しかし、それは本当の自分を覆い隠してまでやらなければいけないことなのか。
そのことが、現代社会のあらゆる問題の中で問われ始めているのです。
素直であることが、わがままだと言われ、まるでそれが悪かのように扱われてしまう社会常識。
本当にそれが、幸せなことなのかどうかを、今一度考え直してみましょう。
どうしたいのか、どうでありたいのか。
素直になることは、わがままでも傲慢でもありません。
幸せになるための、最低条件なのです。
心の声に従って生きる
嫌なものを嫌だと言うべきではない社会のルール。
いったいこれは何のためにできたものなのでしょうか。
何か問題が発生し、トラブルに発展してから、「嫌だとはっきり断りなさい」と矛盾をつきつけられます。
それならば、いっそのこと最初の素直な意見を大切にして生きるべきです。
周囲の人たちが、あれこれと余計なアドバイスをしてくるかもしれませんが、それらはみな、惑わせる意見です。
自分が自分でなくなるくらいなら、もっとわがままに、大胆に生きていきましょう。
心の声をしっかりと聴いて、本当はどうしたいのかをはっきりとさせて、その道を突き進みましょう。
他人はあなたそのもの
自分がやりたいことがわからない時には、他人がくっきりと浮き彫りに見えてきます。
嫌な感情を抱いたり、やめさせようとしたくなったりもします。
しかし、そこに隠れていることは、自分自身の僻みでしかありません。
また、人間は、他人に自分の本当の姿を投影してみています。
つまり、他人へと何かを言いたくなる時には、自分自身が何かやりたいことがあって、それをしていないということへとつながっていきます。
見ている世界は、全て自分の心がそう映し出しているだけです。
他人はあなたそのものですから、そこから自分の心の声のヒントを得るように心がけてみましょう。
自分で選んだ道は全て正解
上手くいかなかったこと、上手くいったこと。
生きていれば、色々なことがありますが、それらの結果のジャッジは、全て自分でしていることです。
本当は、自分で選んだことであるのならば、それが全て正解なのです。
上手くいく、上手くいかないという二極は、本当は存在していません。
どちらかが正解であって、どちらかが不正解と決めつけているのも、自分自身でしかありません。
長い時間の中で、己の人生を俯瞰してみてみれば、全てが上手くいっていることに気づくはずです。
他人に決めさせることだけは許してはいけません。
自分で決めた道を進み、そこで得られた結果は、全て自分の良い結果となって残っていきます。
素直であれば幸せな人生を歩める
幸せな人生を手に入れることは、今すぐにでもできます。
苦しく、辛い経験を積み重ねて来たのは、幸せが何かの条件付きだったからではないでしょうか。
選んだ道の先に、どちらかが幸せでどちらかが不幸だと先に決めていたのではないでしょうか。
何かになったから、何かを達成したから幸せなのではありません。
そこに向かって生きていけることそのものが、既に幸せな道であることに気づくだけです。
やりたいことがやれているのなら、それがどうなっていったとしても、それが幸せな日々なのではないでしょうか。
素直に生きていきましょう。
やりたいことをやりましょう。
行きたいところへ行って、食べたい物を食べて、会いたい人と過ごしましょう。
幸せになることは、何も難しいことではないのです。