
何かのトラブルが起こってしまった時に、人はつい「どうしてそうなってしまったのか」を深く掘り下げていってしまいます。
確かにそれが次へのステップにつながる時もありますが、そればかりに時間とエネルギーを費やしていくことは、あまり生産的ではありません。
原因追究や、犯人捜しをするようなやり方は、やっても何もいいことはありません。
大切なことは、「真実がどうであったのか」ではなく「これからどうするのか」だけです。
ある程度まで掘り下げることは大事であっても、これ以上は危険だと感じたら、すぐに切り替えることを意識しましょう。
答えは最初から出ている
何が原因だったのか、本当はどうなのか。
それを知りたがる人は、単純にそういった経験が少ないのか、別の目的を達成するためにやっているのかのどちらかです。
客観的にみて、これからのことを考えると、答えは最初から出ているものですし、それがどれだけ時間の無駄であるのかは理解できるもの。
答えは最初から関わっている人たち全員がわかっているのですが、誰もがみなそれを言っても意味がないことを理解しているから言わないだけ。
それがわからない人たちが、真実を明かそうとしてしまうのです。
もし、そういったことに深入りしそうになったら、「意味がない」ということを思い出しましょう。
因果応報に従う
この世界は、因果応報という法則に従って動いています。
真実を明かそうとしたり、原因を追い求めたり、犯人を捜そうとはしなくても、いずれはその人へと報いは返るものなので、本当は何もしなくてもいいのです。
調査したり、裁いたりすれば、それがまたそれをやっている人へと返ります。
だからこそ、何も言わず、何もせずに次にどうするのかだけを考えていくべきなのです。
原因追究や犯人捜しは、誰も幸せにはなれない行動なのです。
アクションを変えていくだけ
上手くいかなかったのなら、そのやり方ではダメだということ。
それだけがわかったのなら、また次の方法を試してみるだけ。
ただそれを繰り返していくことが、いつか上手くいく唯一の方法です。
原因や犯人を見つけ出そうとすることは、最初から上手くやろうと思って、都合のいい答えを決めようとしているからです。
失敗は何度でもしていいのですから、トライアンドエラーを繰り返しながら、どんどんチャレンジしていくこと。
上手くいかなかったのなら、また別のアクションをとればいいだけの話です。
真実は自分の中だけでいい
上手くいかなかった原因を全く考えないことも、進歩しないことになってしまいます。
ただ、その答えを見つけ出すのは、自分の中だけで十分です。
その出来事のどこが悪くて、誰が犯人か?
そんなことをやっても、何もいいことはありません。
考えるべきことは、自分のことだけです。
だったら次は私はこうしよう。
そう思って、再びチャレンジすることこそが、素晴らしく前向きなスタンスだと言えます。