何をしたってその人の自由

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人は、どんな生き方でも出来るもの。

窮屈な社会のルールは、身を守るためのものでもありながら、人を縛り付けるものでもあります。

「やってはいけない」とういことが沢山あるものですが、本当はそんなものはありません。

ただ、この世界にあるのは因果応報という法則だけ。

だからこそ、させないようにしたいものではあっても、やりたいと思う気持ちは誰にも止められないものです。

互いに窮屈になる世界から抜け出したいのであれば、自分にかけている呪縛を自分で解放することです。

何でもありの世界に生きよう

何でもありだと言われて、何を想像するのかはその人次第です。

もちろん、人である以上は、ある程度のモラルは必要になってきますが、それすらも別に守る必要はありません。

私利私欲に任せて生きれば、それ相応の報いが待っています。

ただそれだけのことであって、それはもう仕方のないことです。

他人のやることにとやかく言う必要はなく、だからこそ自分の行動への許可も下せるものです。

自分の生きている世界を狭くしているのは、自分自身なのです。

人生は自分で創造できるもの

人間は、どんな生き方だってできるものです。

誰かと同じでなくても、間違っていると言われても、それが自分の人生だと思ってしまえば、何も怖いものはありません。

人生はどう生きなければいけないのか、ではなくどう生きるかだけです。

やりたいことは我慢して、誰かのために尽くして生きて行くのもいいでしょう。

他人に迷惑をかけてでも、やりたいことをとことんやっていくのもいいでしょう。

どちらも美しく、素晴らしい生き方です。

それを誰も咎めることはできません。

笑顔でいられるのなら、それが正解なのです。

楽しければそれでいい

毎日を楽しみながら生きていると、必ずそれをやめさせようとしてくる人たちがいます。

しかし、それはただの僻みでしかありませんので、聞く必要はありません。

その報いは自分が受けるものですし、他人は関係ありません。

楽しい空気を作れる人のまわりには、楽しい人たちが集まります。

幸せのオーラを放つ人には、幸せが集まります。

ただそれだけのことです。

規範やルールは、ただ最低限の秩序を守るためだけのもので、全てを守ってしまえば何も面白くはなくなります。

楽しければそれでいいんです。

何をやっても自由です。

自分の「好き」を大切にして、楽しみながら毎日を過ごしましょう。

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