これまでに、色んなことがありました。
沢山の迷惑もかけてきました。
それでも、見捨てずに支えてくれる人たち。
そういった人たちを、大切にして生きて行きたいなと毎日のように感じています。
人生はとても単純なもので、シンプルだったと、この年齢になってやっと理解できるようになりました。
頑張ってきた
それが人のため、家族のためだと頑張ってきました。
期待に応えようとして、やらなければいけないと自分に鞭を打って、見捨てられないように、嫌われないように一生懸命でした。
それが正しいことだと思い込み、他人に迷惑をかけてはいけないと、必死になってやっていました。
しかし、それが関わる人たちに最も迷惑な話であって、全て一人よがりなだけでした。
気が付けば、頑張ることによって大切な人を傷つけ、自分も傷つけ続けていました。
それでも、今までの生き方がダメなわけではなくて、その時間があったからこそ、今の気づきがあるのだと感じ、後悔はありません。
よくここまで頑張って来たなと、自分を褒めてあげたいと思います。
甘えない人が一番の甘ったれ
自分がやらなければいけない。
他人に迷惑をかけてはいけない。
甘えるわけにはいかないから、出来ない事でも、無理をしてでも踏ん張らなければいけない。
私もかつてはそう思っていましたが、それが傲りであって、甘えてはいけないと思っていることが、既に甘えでした。
甘えることを知らない人が、一番の甘ったれだなと思います。
どれだけ迷惑をかけまいと思っても、迷惑はかかるものですし、一人が頑張れば頑張るほど、関わる人たちは嫌がります。
現実の自分を知らずに傲り、出来もしないことを無理をしてやろうとする。
そんなことをするから、大きな痛手を負ってしまいます。
「今は出来ないのでお願いします」のひとことが言えないから、何もかもを抱え込んでしまっていたのです。
人の出来ることには限りがあり、どれだけの経験を積んでも、マルチには出来ません。
出来もしないことを全て引き受けてやろとすることが、一番の甘ったれの考えだなと痛感しました。
生きていれば何とかなる
頑張って成長することや、何かの目標に向かって頑張ることを常にしていなければいけないと本当に思い込んでいました。
ですが、やればやるほどにただ苦しくなっていくだけ。
手に入れようと必死になるほど失われていき。
高いところを目指すほどボロボロになる。
どこかに向かって行こうとすれば必ず引き戻される。
何をやっても上手くはいかず、どこへ行っても同じことの繰り返し。
人は、少ない力で多くを得ることは出来ないのだなと、全てを諦めました。
そして、高いことを求めず、理想や期待は捨てることによって、「生きていればなんとかなる」「今日生きられればそれでいいや」と思えるようになりました。
この感覚は、他人から見れば「やる気がない」「向上心や闘争心が足りない」と映るかもしれませんが、私はこれが「今を生きる」ということなのだなと実感しています。
今日、この日のこの瞬間は二度と来ない。
だから、しっかりと目の前にある現実を噛みしめて生きる。
そう心から思えるようになってから、全ての苦しみから開放されました。
辛かった時、精神科などへ行ってれば、恐らく何かの診断はおりていたでしょう。
しかし、私はそういった答えが欲しかったわけではなかったので、一人で耐えました。
苦しんで苦しんで、何も出来なくなって。
「もうダメかな」と思った瞬間に、一本の光が射しこみました。
生きるということは、そういうことなんだなと実感し、それまでの自分がどれだけ傲慢で、わがままで、欲張りで、甘ったれだったかに気づきました。
強い人は、優しい人で、弱い人でした。
生きていれば何とかなるもの。
理想の世界に思い描く生き方は出来ないかもしれません。
それでも、今日もまだ生きています。
私はもう、それだけで十分だなと、今はそう思っています。
目が覚めて、出会った人たちの笑顔が見れるなら、それで幸せです。