因果応報だと知ることで強く生きられる!

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この世の絶対的法則は、因果応報であるということ。

これは、誰も免れることのできないもの。

撒いた種は必ず自分で刈り取るしかないものなのです。

その法則を知ることによって、何を感じるのかは人それぞれ。

あなたが感じていることそのものが、あなたの人生を表しています。

しかし、法則に気づくことによって、これからどう生きるべきか、どう在るべきかの指針にはなります。

過去がどうであったとしても、それは変えられないもの。

だからこそ、これからどう生きるのかが大切になってくるのです。

また、因果応報を知って怖いと感じる人もおられるかもしれませんが、その恐怖を乗り越えてしまえば、怖い物はなくなっていきます。

他人は全く関係ない

因果応報というカルマの法則は、その人が必ず背負わなければいけないものです。

何をどうあがいても、逃げようとしても、必ずその人の元へと集まります。

だからこそ、他人同士での優劣や上下、良し悪しは全く関係ないのです。

何かをすれば、その報いは必ずその人へと還るように出来ているのですから、あなたが誰かをジャッジしたり、裁いたり、制裁を加える必要はないのです。

それをやってしまえば、それはあなたの元へと還ります。

誰が何をやったとしても、それはその人の自由であって、その人が受け入れることになるだけですので、余計な手出しは無用なのです。

自分のことだけ考える

自分さえよければ、と聞くと、自己中心的で自分勝手と思われがちですが、本当はそれが最も楽に生きられる方法で、最も人との関係を良くする方法です。

他人との境界線を守り、それぞれの人生を尊重し合えるようになるには、自分のことだけを考えることです。

因果応報なのですから、「あなたはそうするんだ」「私はこうします」それだけで十分なのです。

誰かに何を教えようとしたり、罰を与えたり、言い聞かせようとしたり、アドバイスをしたりするから、人生が複雑になっていくのです。

自分は自分。

他人は他人。

それは、因果応報によって気づくことができることなのです。

全ては偶然の産物

諸行無常と言う言葉があるように、毎日同じことの繰り返しのように思えても、何かが少しずつ変化していきます。

その一瞬ごとに、全ては同じ状態にはなく、それがあらゆるところで絶え間なく繰り返されることによって、流れて変化していきます。

全ては偶然の産物であって、たまたまそうなっているだけ。

そして、そのたまたまそうなっていくことも、全ては自然界の流れの一部であって、なるようになっていくように出来ています。

何かを変えようとしたりしなくても、全て上手くいくように、丸くおさまるように出来ているのです。

偶然の産物が生み出すものは、なるべくしてそうなっていて、それが最も自然であり、美しい姿なのです。

やることは見えてくる

因果応報であることを知っておけば、あなたが何をやるべきかは明確になってくるはずです。

鏡の法則とも言いますが、したことが必ず返ってくるだけです。

そこから逃げることはできず、必ずどこかで報いは受けなければいけません。

それなら、これから何をすればいいのでしょうか?

簡単ですね。

人間関係でよく言われる「してほしいことをしてあげる」だけです。

欲しい、欲しいばかりでなく、あげる人生にしましょう。

褒めてくれない、認めてくれないのは褒めてあげていないから、認めてあげていないから。

信じてもらえないのは、信じていないから。

いつも怒られるのは、いつも怒っているから。

難しいことではありません。

この世は因果応報である。

ただそれだけのことなのです。

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