やめてみて人生が楽になった5つのこと

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人生は、何かをやらなければいけない。

何もやっていなければ生きている意味がない。

私はそれくらいに生き甲斐を求め、あらゆることをやり尽くしていきました。

しかし、やればやるほどに忙しくなり、手に入れれば入れるほどに苦しくなっていく。

どうしてこうも上手くいかないものかと思いながら、ついには心のバブルははじけてしまいました。

そこから、私の本当の人生は始まったのです。

生きる楽しさは、何かをやることではなくて、いかにやらないか。

あるものの幸せを感じ、増やさずに生きられるかどうかだということ。

実際に、自ら増やし過ぎてしまって、苦しくなったものを削ぎ落す作業はとても大変でした。

しかし、削ぎ落とされて生き、シンプルになるほどに、人生は楽になり、幸せを感じられるようになったのです。

何を削ぎ落すのかは、人によって違うと思われますが、性質は似たようなことのはずです。

私がやめてきたことをヒントに、あなたも幸せな方向へと人生をシフトさせてみてはいかがでしょうか。

1.欲しがること

あれも欲しい、これも欲しい。

そういった思いが、昔から強くあり、ひどい時には他人のものでもどうにかして手に入れようとしていたくらいです。

ある程度までは、こういった生き方も通用はしましたが、やはりそれは頭打ちになりました。

自分の力に傲り、手に入れることが全てだと思っていました。

また、なんでも欲しがり、それに他人を従わせることが当たり前となっていたのです。

今思えば、とても恐ろしい話です。

欲しいものほど手放し、求めている誰かに譲ることを意識し始めたとき、人生は大きく変わりました。

どんなことでも同じなのですが、やるべきことは全て逆だということ。

欲しいものを手に入れようとするのではなく、必要な人に与えていくこと。

もちろん、わずかながら見返りも期待はしますが、それよりも、与えることの楽しさの方が、手に入れる楽しさよりも数倍楽しいことなのだと気づいたのです。

ここに気づいてしまうことで、欲しがる精神は、我慢などではなく、自然と消えていきました。

2.所有すること

何もかも手に入れて、持っておきたいと思っていた頃がありました。

しかし、それはやればやるほど忙しくなり、維持することが大変になっていき、他の何もできなくなってしまうことに気づきました。

自分が所有していようが、他人が所有していようが、その物の価値は同じですし、自分の価値も同じです。

持っているか持っていないかの違いは、全く意味がなく、別に手に入れる必要も所有している必要もないということ。

必要になったら買えばいいし、あるうちはわざわざ持とうとはしない。

以前までは、きちんと整理しているつもりでも、家の中はパンパンでした。

あれもやりたい、これも持っていたい。

今思えば、一体何のためにそこまで持っていたのでしょうか。

コンビニが冷蔵庫。

パチンコ屋は本屋。

実家は憩いの場。

ファミレスは勉強スペース。

わざわざ家の中に何もかも揃えておく必要はなく、最低限のもので生きていければ何も問題はないと気づいてしまいました。

物を持たないことで、いつでも清潔に暮らせますし、掃除も全く面倒だとは思いません。

所有することに、本当に意味はないなと思います。

お金を物に換えてしまえば、他に使い道はなくなりますし、お金に戻すこともできません。

物を持たずに、お金を持っていれば、どこにでも行けます。

3.責めること

責めること、咎めることをやめました。

なぜだかわかりませんが、なんでも上手くいかなかった時に原因を突き止めることに必死になり、いつも答えを探していました。

しかし、それをやっていると、答えを見つけていくことで得られるものは、「だからダメなんだ」とうい言葉で終わります。

ダメだしばかりの繰り返しになりますし、原因からのダメ出しは、ただの行き止まりなのです。

これは、アドラーが伝えている原因論の意味の無さです。

原因を突き止めると、次は責める、咎めるといったことしかできません。

人は誰でも、失敗を咎めらえると、自信を失くし、傷つくだけです。

それでは進歩がないと言っていた人がいましたが、私は今はそれだけは断固否定しまし。

原因を突き止めることこそ、全く意味がないこと。

人を責める、咎めるということは、相手か自分か誰かが悪いという着地点しかありません。

それをやめてしまってから、楽になれました。

私がおススメしたいのは、そうなってしまったのは「妖怪のせいなのだ」という着地点です。

4.変えようとすること

自分自身の人生が、なぜこういつも苦しく辛いものになるのか。

私は、私自身が何者なのかが理解ができず、いつも違う何かになろうと必死になっていました。

また、そういった価値観は他人へも向けられ、他人に指導や教育という言葉を武器に、変えようと必死になっていました。

変えようとすることは、自分にも他人にも必要のないこと。

もっと素晴らしい自分になるために、何かを変えて成長していかなければいけない。

それは、向上心があっていいことのようにも聞こえますが、理想と現実のギャップが永久に埋められない苦しみの道です。

それではダメだと散々言われてきましたが、どれだけやっても、やはり向上しようと、変えようとすることは、苦しいことです。

無理をして、違う自分になろうとしたり、どこかを目指したり、何かを変えていこうとするのは、人生を不幸にします。

私はただ、待つことを選びました。

わざわざ変えようなどと思うことは、苦しい上に、傲りでもあります。

他人を変えることはできませんが、自分も実は変えることはできないのです。

5.頑張ること

昔から、頑張ること、努力すること。

何かを目指して、何かをやっていることが素晴らしいことだと信じていました。

しかし、これは裏を返せば、何もしていない人は価値がないと言っているのと同じ。

これが、自分自身を苦しめている原因だとは気が付かずに、自分にも他人にも、ずっとストイックなメガネで見ていました。

気が付けば、「私がこんなにやっているのに、あいつは!」といった感情が生まれたりもしていました。

頑張ることも、ずっと長年続けてはきたのですが、やはり頭打ちになってしまいました。

幸いなことに、大切なものを失う寸前で気が付きました。

頑張ってしまうこと、努力することは、独りよがりになるととても危険なものです。

心が破綻し、何もできなくなってしまってから、本当の生き方を知ってしまったのです。

頑張ってはいけない。

やりたくないことは我慢してまでやるべきではないということ。

頑張るのをやめて、やっと、生きるということができるようになりました。

楽な生き方とは

本当に楽で、幸せな生き方は、最初からありました。

どこかを目指し、何かを達成してこそ幸せだと、誰が言い始めたのでしょうか。

それは、そうしたい人がそうすればいいだけのこと。

誰もがみな、それが幸せではありませんし、そうしたいとは思っていません。

競争の螺旋から降りること。

今ある幸せを感じること。

苦しくなることはしないこと。

頑張って変えようとしないこと。

理想や期待は捨てること。

それが、最終的に感謝する生き方へとつながり、幸せな人生を創るのだと思います。

変えるのではなく、変わる。

伝えるのではなく、伝わる。

教えるのではなく、教わる。

自分とはこんなものだ、これくらいだ、ということを認識した時、とても楽になれました。

もう頑張らなくてもいいのです。

人生は、楽しさだけでいいのです。

他人の気持ちを汲んだり、踏ん張って耐えたりもしなくていいのです。

楽しいことだけをやって、人生最後の瞬間まで、笑って過ごせるように生きていきたいものですね。

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