
シンプルな暮らしを目指しても、やり残していることがあるのなら、それを軽油しないと至ることができません。
元々、物欲が強く、なんでも自分の思い通りにならないと気に入らなかった私。
今では、あるものを大切にし、ないものを欲しがらず、他者の望みを叶えることに喜び感じている毎日です。
心穏やかに過ごせるシンプルな暮らしを実現するまで、簡単な道のりではありませんでしたが、後悔はしていません。
どの道を辿ったとしても、誰もが同じところを通って、同じところへと行き着くのだと私は思っています。
参考になるかどうかはわかりませんが、上手くいかない、辛く苦しい、シンプルな暮らしに憧れる、など、少しでも多くの方たちの励みになれば嬉しい限りです。
我慢の連続だった日々
自分で受け入れたことから逃げてはいけない。
何がなんでも我慢するしかない。
そう思い込みながら、多くの自己犠牲を払って耐えている日々がありました。
その信念は今でも変わってはいないのですが、やはりやりたいことのできない日々のストレスは、何年もかけて危険な爆弾となっていたようです。
それでも、当時はそのことにすら気が付かず、守ることのために耐えるしかないんだと必死でした。
その思いだけを見れば、素晴らしくも聞こえますが、あっという間にキャパは越えていて、他人を傷つける毎日でした。
そして、様々な要因が重なっていき、そんな日々も破綻を迎えました。
ひどく落ち込んだ日々
頑張って来たはずなのに、全てが無駄になった気持ちになり、もうどう生きたらいいのかがわからなくなっていました。
それでも、やってきたことは続けなければいけない。
そう自分に言い聞かせながら、なんとか乗り切る毎日。
気が付けば、我慢をすることが当たり前となってしまっていたため、他人を傷つけることにも何も感じなくなっていました。
それが私の人格となっていたのです。
思い返せば恐ろしい日々です。
そこから落ち込みながらも、徐々に違った世界が見え始め、「オレは一体何をしていたんだろう」と目覚める瞬間がありました。
これが、全ての始まりのように思います。
やりたいことをとことんやった
何を無理してやっていたのか?
我慢してまでやることなのか?
ふと湧いた疑問から、それまでに抑制していたものが解放されていきました。
この時の何も怖れない勢いは、今でも忘れられません。
信念を貫き、自分の正しさを信じすぎたが故に、自ら破綻を招いてしまっていたこと。
自由を手に入れた感覚になり、当時は何でもできました。
無謀なことも、恥ずかしいことも、危ないことも、誰に何を言われようが、全てを思いっきりやっていきました。
この時は、本当にそれが楽しくて、長い夢から醒めたような感覚でした。
何をやっても上手くいかない日々
自分の呪縛から解放され、何もかもが上手くいくような感覚の日々は、そう長くは続きませんでした。
楽しいのは一時だけで、必ず壁に突き当たり、上手くいかない。
一度くらいは何も感じてはいなかったのですが、それが何度も繰り返されていき、今度は何をやっても上手くいかない日々が始まりました。
いくらやっても、必ず同じところでつまづく。
それでも、「オレは何も悪くない」と言い続け、他人のせいにして同じことを繰り返していたのです。
元いたところへ引き戻される
解放された勢いから、それが楽しいことだと本当に感じていたのに、上手くいかないことの連続によって、同じことが繰り返されていることに自分で気が付きました。
全ての出来事や、誰かの言ったことが一本の線で結ばれた瞬間です。
楽しいと思っていたこと、上手くいっていると勘違いしていたいことは、全て自分の傲りでしかなかった。
何度やっても同じところへ引き戻されることで、神の導きにきがついたのです。
そして、本当に大切なものを見失いかけていたことに気が付き、もう一度始めからやりなおさなければいけないと、心からそう思いました。
生活を立て直した
何をやっていたのだろう、ともう一度夢から醒めた感覚になりました。
楽しいと思ってはしゃいでいたけど、生活は乱れ、家の中はいつも乱雑な状態。
これでは何も変わらない。
上手くいかない原因は、全てここにあったんだ!と確信しました。
それからは、リズムを整えることはもちろん、家事をしっかりとこなし、掃除や整理整頓を必死で毎日やり続けました。
それを続けていくと、さらなる気づきがあったのです。
断捨離の始まり
生活を立て直し、整える日が続く中で、それでもまだ小さなストレスは感じながらやっていました。
そこで、さらなる気づきがあったのです。
やる必要のないことをやって、自分でストレスを感じてイライラしている。
このイライラが原因で、何をやっても上手くいかなかったのだ。
やることを増やし過ぎて、自分で勝手にやらなければいけないと再び縛りつけて、そのストレスを他人へぶつけていたことで、失敗していたのだと気づいたのです。
つまり、全て自分一人でやっていたということに気づいてしまったのです。
何のためにやっているのか?
本当にやらなければいけないのか?
それから、断捨離することを心がけ、それが楽しくなって継続し始めたのです。
必要最低限の暮らしへ辿り着く
断捨離をしていくと、家の中の9割のものを捨てることができました。
時間はかかりましたが、持っているもののほとんどは、生きるために絶対必要なものではないし、自分を強くするための武装ばかり。
減らせば減らすほど、自分の弱さを認めることになり、それでも、その弱さを認めて受け入れていくことが、本当の強さなのだということを確信しました。
ずっとずっと昔から、自分の嘘をつくことが癖になって、親のいいなり、他人のいいなりとなって生きていたこと。
何かある度に軸がぶれて、情報弱者となってしまっていたこと。
生きるために必要なものは、そんなには多くはないこと。
必要最低限な暮らしは、素直な暮らしであって、自分の心にとってとても心地のいいものです。
全ての出来事に意味はあった
シンプルな暮らしをしていると言っても、まだまだ軸はブレる時がありますし、ないものを欲しがることもあります。
そういった感情が生まれた時、以前の私は、「それではダメ」「そうなってはいけない」などと考えてはいましたが、今では「それでもいい」と思えるようになりました。
やりたいことを我慢する日々から、解放する日々へと生まれ変わり。
傲りを感じて再びやり直し、我慢ではなく心からの穏やかさを得ることができた。
全ての始まりは、我慢せずに解放したことからです。
そこから、傷つきながら這い上がって来た日々があって、今があります。
だからこそ、後悔はしていませんし、何も間違ってはいなかったと思えます。
今、自分が辛く苦しいという方も、決してあきらめないで下さい。
怖くても、そのまま真っ直ぐに、思った通りの突き進むことによって、必ずたどり着けますので、どうか自分を責めないであげて下さい。
また、身近に気持ちが荒れている人がいたとしても、それが性格だとか、病気だとかで済ませて見捨てないであげて下さい。
もがいている時は、本人が一番苦しいのですから、失敗することを責めないであげて下さい。
そこを通らなければ、本当の自分に出会うことはできないので、暖かく見守ってあげて下さい。
シンプルライフが自分軸を創り上げる
自分軸は、何かのスキルを身につけたり、突出した才能によってつくられるものではありません。
最初から自分の真ん中にあるもので、それが見えなくなったり、傾いたりするだけです。
シンプルライフを継続することで、自分軸はまっすぐに立ち上がります。
どこかにあるのではなく、真ん中に既にあるものです。
そして、その自分軸を真っ直ぐに強く作り上げ、倒れないようにするためには、「やりたいことをやる」ということから全てが始まります。
我慢や忍耐なんてものはいりません。
本当にやりたいことに向かう時には、苦しさなんてものは感じないものです。
今、何かやりたいことがあるのなら、それを今すぐにやっていくべきです。
その先で、何度も失敗することは間違いありませんが、失敗しに行かなければいけないのです。
全ては、やりたいことをやることから始まります。
後悔や不安は脱ぎ捨てて、やりたいことをやりましょう。
その先で、ストレスフリーな世界が待っています。