
捨てることによって、ないものとあるものの境界線がはっきりとします。
自分がどこを見て生きるのか?
ないものばかりを追いかけていくことは、永久に終わらない苦しみとなっていくのです。
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苦しくて、辛くて、悪いことばかりが目に付いてしまう。
それは、自分自身の中に、悪いことしか見ないフィルターがかかっているから。
世の中は、嫌なこと悪いことばかりではありません。
ないものを意識しすぎて、欲しがる生き方は、とても苦しい生き方なのです。
あるものとないものをはっきりさせる
捨てることを実践していけば、今あるものとないもの。
必要なものと必要でないものをはっきりとさせることができます。
あるものはあるし、ないものはないときちんと認識すること。
これが出来るようになって初めて、現実を現実として理解できるようになります。
世界は何を見るのかで決まる
自分が見ている世界は、どこに見るのかによって決まっています。
起こっている現実はただそれだけの事実であるにもかかわらず、その人の心情、環境、立場によって感じ方が違うもの。
今自分が、世界がどのように見えているのかは、自分の中にあるフィルタがどうなっているのかを表しているだけ。
嫌なところ、悪いことばかりが目に映るようなら、自分の心がそう映し出しているだけ。
心のフィルタが入れ替わりさえすれば、世界は輝いて見えるものです。
あるものに焦点をあてて生きると、毎日が大切で、毎日が楽しくなります。
ないものに焦点をあてて生きると、毎日が辛く、物足りなさを感じ、不満や不安を抱いて生きることになります。
自分の人生は、自分が決めているというのは、そういったことから言われていることなのです。
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ただ認めるだけでいい
捨てることで、あるものないもの、いるものいらないものの境界線を浮き彫りにする。
この先で、必要な心掛けは、求めない、追いかけないこと。
ただ、ある、ないを認めるだけ、感じるだけ。
ないものはないし、あるものはある。
それが現実だと受け入れることです。
他人や世間の価値観ではなく、自分の中で感じる境界線をしっかりと感じること。
できないことはできない。
できたことができたこと。
やりたくないことはやりたくない。
やりたいことはやったこと。
ただ、それを認めるということだけをやっていきましょう。
ないものねだりは苦しみの道
あるものとないものを感じるだけでなく、人はないものを欲しがる生き物。
その感情と、どう向き合って生きて行くのかが、苦しみの道を行くか、楽な道を行くのかを分けます。
あるものないものは、ただ感じるだけ。
ないものを欲しがり、求め、追いかけると、それが手に入ったとして、また同じことが繰り返されます。
今あるものだけに集中し、それを大切にすることだけに全力を注ぎましょう。
手にしたいものを得ても、また次に手にしたい物が出てくる。
それが何であったとして、自分の中にあるその心を正さなければ、永久に終わりのない苦しみの道を生きることになります。
ただ生きているだけ
若い時は、どこかを目指したり、追い求めたりすることが努力だと勘違いして、高みを目指して登りつめようとします。
しかし、そのやり方をずっと続けていると、死ぬまで努力の山を登り続けていき、次の山、また次の山と登り続け、長く生きるほどに苦しくなっていくだけ。
本当は、人はただ生きているだけ。
目の前に現れる出来事をこなし、ただ毎日を生きているだけなのです。
高みを目指すことは素晴らしいこと。
努力を惜しまないことも素晴らしいこと。
ですが、今の自分と理想の自分とのギャップが、ずっと埋められない状態は苦しいものです。
また、理想の自分へと近づこうとするのは、傲りにもつながります。
今ある自分が、自分。
境界線はいつもはっきりしています。
ラインはいつも自分のいるところです。
今を感じ、ここにいることを感じる。
そして、生きているのですから、それ以外は何もいらないのです。
天命を受け入れる
ストレスを感じ、辛く苦しいと思うのは、間違いなくないものを欲しがったり、どこかを目指しているからです。
それよりも、自分の身の回り、足元をよく見てみて下さい。
やるべきことをやっていますか?
自分の力で地に足をつけて生きていますか?
己の生涯に課せられた天命を受け入れていますか?
この世に命を受けて、現れる試練を乗り越え、生きて行くことが、世界を変えてくれます。
天命を受け入れましょう。
目の前のことに集中しましょう。
困っている人を助けましょう。
全てに感謝しましょう。
生かされいることを知り、天命を受け入れて生きれば、全ての苦しみから解放されていきます。
NA企画.
ライター:尊子
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