
ステローです。
えらそうなことをいつも書いている限り、もちろん掃除は毎日しています。
そんな生活の中で、思っていること、感じていることはいつも決まっています。
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掃除をすれば、いつも自分が見えます。
そして、その間に心の中で思っていること、感じていることがあります。
それは、まるでもう一人の自分が語り掛けているような感覚です。
1.自分は小さな存在である
掃除は、自省するにはとてもいい時間になります。
また、単純にそこがキレイになるというメリットもあります。
やっているといつも思うこと。
「自分はなんてちっぽけな存在なんだ」
悩んでいることのくだらなさ。
出来ないことへの不甲斐なさ。
傲ってしまう弱さ。
本当に色んなものが見えていきます。
それでも、昔はいちいち落ち込んだりしていたのですが、そういったことはなくなりました。
今日一日を通して感じることは、明日への挑戦へとつながります。
自分の小ささを知って、落ち込んでいる暇があったら、明日はどうするのかを考える。
そして、行動へと展開していく。
毎日なんとか踏ん張っていけるのは、掃除という習慣のおかげだと私は思っています。
2.出来たことへの喜び
今日出来なかったことばかりを見ていると、出来たことへの喜びを忘れてしまいます。
しかし、掃除をしていると不思議と出来た自分に喜ぶことができるようになりました。
昔の自分なら、ただ落ち込んで、慰めてもらうのを待って、認めて欲しいとばかり思っていました。
それでも、ずっと掃除を継続していくと、自分で自分を認めてあげればいいということに気づいたのです。
誰かに何かを言われたとしても、自分が出来たと思っていればそれでいい。
そう思えるほどに努力をしてしまえば、自分の行いに胸を張って喜ぶことが出来ます。
自分だけは自分の味方をするべきだと、掃除を通して学んだと同時に、それが出来るようになったのです。
他人から見れば、くだらないことで喜んでいるおめでたい人に見えるかもしれませんが、私はそのおめでたい人でいたいのです。
もっともっとと欲張って、他人の価値観に生きて、幸せのハードルがどんどん上がっていくあの感覚へはもう戻りたくはないのです。
3.込み上げる安心感
かつて、私は自分が出来る存在だと傲っていました。
知識やスキル、お金や人脈に価値観があったことは確かです。
しかし、自分の中にわずかでも傲りがあると、必ずどこかでつまづいてしまうと気づいてしまいました。
傲りというのは、心の奥底で眠る不安を払拭したいために現れるもの。
「そんなはずはない」
「絶対にこうなれるはずだ」
違う何かになることや、どこかを目指すことが、努力なのだと本当に信じていました。
ですが、それをいくらやっても不安は拭い去ることは出来ませんし、それどころか不安は大きく膨らんでいくばかりです。
掃除をして、ずっとずっと継続していくと、そのことに気づいたと同時に、言い表せない安堵感があったのです。
「もう何もしなくてもいいんだ」
「これだけやってれば導かれていくんだ」
始めは、長年そんなことにも気づかなかった自分に愕然としてしまいましたが、それでも今が一番早い時だと考えるようにしました。
掃除をすると、「やっぱりそうだよな」という気持ちになって、安心します。
時に、世間の常識や、身近な人たちが自分を惑わせようとしてきます。
それでも、家に帰って掃除をしていれば、「ここに確かな道はある」とそう思えます。
自分だ絶対に正しいということを、周囲との調和の中で主張することはしませんが、自分の中では自分が正しいのは間違いありません。
掃除をすると、心が落ち着きます。
最後に
掃除をすることによって、気づくこと、感じることは人によって、状況によって確実に違ってきます。
ですが、必ず自分のためになることは間違いありません。
現実としても、その場がキレイになっていくので、誰かのためにもなります。
自分の内面と、外面。
そのどちらもウィンウィンでいられるのが、掃除たと私は思っています。
掃除なんてしなくていい。
誰かにやらせろ。
なんてことを言われることだってあります。
しかし、私は個人的にはそれは「神への冒涜」としか感じていません。
こうしたブログで発信することも、私の中の傲りなのかもしれませんが、それでも誰かの励みになればと思って書いています。
掃除は、どんな時でも自分を助けてくれる大切な習慣です。
毎日掃除をしましょう。
いつでもどこでも掃除をしましょう。
古来より、日本人が掃除を重んじてきた意味は、そこにあります。
NA企画.
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